R55女性あるある

R55世代(50~60代)女性の、心身や環境の変化・長年の仕事での経験・主婦目線での生活など綴るブログ

保険適用の「二重まぶた」手術実録

先日、親が眼瞼下垂の手術を受けました。

年を取ると徐々にまぶた(瞼)が垂れ下がってきて、視界が遮られ物が見えづらくなったり頭痛や肩凝りなど様々な不都合が起こるため「まぶたを上げる手術」があります。

私は当日仕事を休んで病院に付き添いましたのでどんな感じだったか書いてみます。

【目次】

美容整形と違い保険がきく手術

親は元々二重でしたが、近年は傍から見ていても皮膚の薄くなったまぶたが垂れて黒目の大部分を覆い気味でした。おまけに耳もほとんど聞こえませんから日々かなり不自由だったと思います。

耳は治りませんからせめて視界だけでも少しでも改善すれば…と手術に同意しました。

この手術は多分美容整形の二重手術と同様なのだと思いますが、これは医療の一環として眼科で保険適用で受けられるものです。

親の場合かなり症状が重く、埋没法のような形ではすぐ元に戻ってしまうため切開手術が必要だとの先生の見解でした。

ただ、血液をサラサラにする薬を毎日飲んでいるのでしばらくこれを止めなければなりません。でないと切開した時大出血してしまう恐れがあります。

不整脈心不全があるためにその投薬をしているので、私は手術そのものよりむしろ薬を止める方が心配でした。別の循環器の先生に相談しましたが「何とも言えない」と、家族である私の判断に任されました。まぁ医者は何も断言できませんよね。

手術は本人のたっての希望なので、3日間だけ薬を飲むのを止めて手術に挑みました。

いざ手術

手術前はまず、待合室で両まぶたにセロテープのような物を貼ってしばらく待機します。これは麻酔なのだそうです。その後しばらく保冷剤で交互にまぶたを冷やしその後手術室に入りました。

    

待合室で待機していると、両まぶたで約1時間位で手術が終わり無事親が出てきました。

執刀した先生の話によるとやはりかなり出血が多かったそう。いくら血液サラサラの薬を止めたところで3日程度ではやはり限界があり、2週間程度は止めないとちゃんとした効果が出ないものだとおっしゃってました。

「でもとりあえず止血したので大丈夫。この後はとにかく冷やして冷やして、それが大事」だと繰り返されていました。

出てきた親の顔を見ると 、まぶたがくっきり二重になっていて黒目も見えるようになっていました。老人のぱっちりおめめもなかなかのものです。

もちろん手術直後ですから傷跡が相当目立ちます。黒い太い糸でのざっくり仮縫いで、まぶたと上側の皮膚を止めているのがバッチリ見えますし、周囲に血液も付いていて、なかなかクールなビジュアルです。

薬局で処方箋を出してもらったのち、持参するよう言われていたサングラスをかけて帰りました。保護のため外出時は当分サングラス必須です。

とにかく冷やして冷やして

家に帰ってからが結構忙しい。20分冷やしては15分程度休んでまた20分冷やすということを48時間続けろとの指示でした。(さすがに就寝時は無理ですが)

保冷剤を袋に入れ頭の後ろでマジックテープで留める目隠しで冷やせるので、手でずっと持ってなくてもいいのですが、何も見えない間はじっとしているしかありません。

目隠しの都度ティッシュを1枚当て、外すたびにべったり血がついているのを何度も何度も繰り返すうち、出血も徐々に減っていったのがわかります。

一方、数時間後には目の周辺は垂れて落ちてくる内出血で真っ赤になり、目の周りが赤いパンダ? 手術直後よりインパクある顔になっていて、そのままハロウィーンにでも参加できそう笑。

頻繁に冷やすと共に、複数の目薬を数度さしたり複数の薬を飲んだり、それに元々飲んでいる様々な病気用の大量の薬もありますからややこしいこと。

1週間後に抜糸、腫れは2週間程度

翌日も検査に出かけましたが、確認と両目のバランスをちょっと整える程度の調整のみでした。1週間後の検査で「問題ない」ということで、2週間と言われていた抜糸がその場で行なわれました。

目の腫れは徐々にひいていき、2週間には見た目がかなり改善して、3週間目には普通の二重の人になりました。

肝心の視界は良好で「よく見えるようになった!」ととても喜んでいました。

最初、手術をしたいと聞いた時は正直「まぶたぁ?そんなリスク犯してまでするようなものじゃない!」などと思ったのですが、本人にとっては見え方が少しでも改善する可能性があればそれに賭けたい思いがとても強かったようです。

高齢者に対しリスクをつい最優先で考えがちですが、QOL(クオリティオブライフ)をもっと追及してあげるべきかもしれないと、最近よく思うようになりました。

今年の漢字は「戦」。来年はもっと明るい漢字の1年であってほしい

毎年恒例の世相を一字で表す「今年の漢字」が発表されましたね。2022年の漢字は「」でした。

【目次】

戦いの日々のイメージ

私は戦争の「」の方を予想していたのですが、「戦」を投票した多くの方々と感覚は概ね同じだったかと思います。

ロシアのウクライナ侵攻北朝鮮のミサイル発射といった実戦(いくさ)、それによるエネルギー価格高騰や円安などによる物価高や増税との戦い、また今年もコロナ防衛戦、それに最近ではサッカーW杯での「負けられない戦い」もこの漢字を想像させたことと思います。

2月には北京五輪の戦いもありましたが、皆もう記憶はかなり薄れてしまっているのかもしれませんね。

今年の漢字は12月12日発表

毎年清水寺で「今年の漢字」が発表されますが、私は今まで単に「年末近くの、だいたい今頃の時期に発表する」程度にしか思っていませんでした。

    
でも毎年"12月12日に発表"するのにはちゃんと理由があって、それは今日が「漢字の日」だからなんだそうですね。

いいじ(12)いちじ(12)」の語呂合わせで、毎年「いい字」を少なくとも「一字」は覚えてほしいという願いを込めて始めたとのことです。知りませんでした。

戦いの日々は続く

私も今年は戦い続ける日々でした。夫や親のコロナ感染もありましたし(私も未遂)、自分の仕事と、親の面倒や実家の片付けと家事などに忙殺される一年でした(もちろん自宅の家事も)。

この戦いは来年も続いていくことでしょう。というよりますます困難になっていくかもしれません。

それでも自分が動けて働けることに感謝です。

来年の今頃、2023年の世相を振り返った時、「喜」「楽」「明」「愛」「輝」「嬉」「笑」「生」「光」といった喜びや希望に満ちた漢字を皆が想像できる1年になりますように!

リネットジャパンは神。PCと複数の粗大ごみも無料回収してもらいました

実家がとんでもないことになっています。昔、私たちが使っていた部屋がゴミの山になっているのです!ゴミといっても生ごみなど生活ごみではなく、長年蓄積に蓄積を重ねたほぼ不用品の山です。

【目次】

ゴミの山の正体

大量の段ボール、衣料品や様々な布類、古くなった家具や家電、まとめ買いした生活用品や飲料(古くてもうダメ)、車・アウトドア品、ビニール・袋類、旅行関係、私たち子供時代のものから親の若い頃のものまで何もかも、何十年も捨てずにとってあったものが雑然とルールなしに天井近くまで積み重ねられ、何が何だかわからない状況になっていたのです。

埃とカビもセットです。古いビニールがバラバラに崩れ細かい粉状になるのも初めて見ました。

子供が皆家を出た後は、すぐ使わないようなものはとりあえずという感じで旧子供部屋に置いていたものがどんどん山になっていったのでしょう。

親も昔はきれい好きで、私が物を出しっ放しにしているとよく怒られていたのに、やはり高齢になるとこうなってしまうのか…と、単に汚い状況を嘆くだけでなく切ない複雑な思いを感じます。

でも私だってどんどん年取っていくわけですし、今のうちに少しずつでも片付けないと大変なことになります。結局片付けるのは私なのだから先延ばしにすればするほどしんどくなる。

    

片づけを決意する

そこで夏頃からまずひと部屋、実家に行くたびに少しずつ片付け始めました。一度に捨てられる量にも限りがありますし(ゴミ置き場に捨てに行くのも一苦労で)、本当に少しずつですが山を崩し始めたのです。

即ゴミと判断できるものはいいのですが、微妙な線の物もかなりあり決断を迷います。粗大ごみとして手続して出さなければならないものもごまんとあります。

でも実家の地域の粗大ごみ収集はもう年内予約はいっぱいです。

そんな中で昔のパソコンやらワープロやらプリンターやらも複数台出てきました。90年代初期OA機器黎明期のものです。

機器自体はまだきれいで見た目どこにも不具合はありません。もしかするとマニアには結構貴重な機種で多少お金になるかもしれませんが、中に何が入っているのかわかりませんし、やはり手間やリスクを考えた結果そのまま捨てることにしました。

リネットジャパンは神

そこで以前自分の古いPCを処理する時に使ったリネットジャパンで今回も引き取ってもらうことにしました。

リネットジャパンは「小型家電リサイクル法」のもと、環境省経済産業省両大臣の認定を取得し全国自治体と提携して回収・リサイクルを行っている安心な事業者です。

PCの他、小型家電など電気や電池で動くものも同じ段ボールに詰めれば丸ごと無料で引き取ってくれるのです。縦+横+高さ合計140cm・重さ20Kg以内であれば詰め放題。

これは金属資源を取り出し原材料として再利用するため無料回収が可能なのだそうです。

私はPCを二つの段ボールに分けて、実家と自分の家の2か所でそれぞれ出しました。古いプリンター、古いオーディオ機器3点、古い電動マッサージ機、古い温風機などを段ボールに詰めることができ、これら全て一斉に処理できて助かりました。

粗大ごみの手数料分も浮いたうえに書類不要宅配便回収に来てくれるので、重い思いをして捨てに行く労力や手間もいりませんでした。

PCはどんなに古くても壊れていてもOK。なおPC初期化だけではデータ完全消去できないそうなので専用ソフト(申し込み後無料ダウンロードできる)で自分で消すか、別途有料で削除して消去証明書を発行してもらうこともできます。

今日から師走。大掃除をする方も多いと思います。リネットジャパン対象地域の方は、この仕組みをうまく使うことをお勧めします!

回収対象品や注意事項など詳しいことは下記でご確認くださいね。

ビル解体をエンタメ化。通行人が避けて通る場所から、観に行く場所に

日本の建築・建設技術というのは本当にすごいなぁ、と素人ながらに感嘆することが多いです。震度5レベルの地震で倒壊する新耐震後のビルの話をほぼ聞きません。免震・耐震技術のみならず、暮らしを快適にする技術…日々進化しています。

でも私たちはそれをあまり意識も感謝もしていないのではないのでしょうか。それは知らないからです。

【目次】

実は解体技術もすごい

建設と言うと建てていく方ばかりについ目がいきがちですが、実はビルなど建築物の解体技術、これがまた世界的に大変優れていると聞きました。

"世界のびっくり映像"みたいな番組で高層ビルを爆破し一気に倒壊させる派手な解体シーンを見たことがあります。爆弾が落ちたかごとく、ものすごい砂埃が舞い上がりどれだけ大音響なのか想像がつくようです。

日本の街中でそんな解体の仕方は危険すぎてまずあり得ないし許されないでしょう。お国柄の違いを感じます。

でも日本の技術はすごい。解体と一言で言ってもいろいろな工法があるそうで、

建設中の建物がどんどん高くなっていく映像を逆回転させたみたいな、高層ビルが徐々に背が低くなっていき気づかぬうちに解体されている工法とか、

ガスや石油タンクのような球形建築物を、天井から渦巻状に切断して長細い切断部分が垂れさがっていく、まるでリンゴの皮むきをしていくような工法など、

建設各社は、より安全と効率を目指して様々な技術を生み出ししのぎを削っています。ゼネコンの手がけるような大規模工事だけでなく街中のビルやマンションなども様々な技が駆使されています。

でも私たちが通常工事現場に抱くイメージは、楽しいとか親近感といったものとはほど遠く「なんか危険ぽい」「工事早く終わってくれないかなー」程度の感覚しか持っていない人の方が多いのではないでしょうか。

でもそれって、なんだかもったいない気がします

こんなに高度な世界に誇れる技術が今目の前で行われているのに、職人さんたちがこれほど格好良い仕事をしているのに、そんな感想しか抱かせないのではもったいない。

    

もっとアピールしてほしい

そういったことを建設土木業界はもっと世間にアピールしてもいいのでは

ただ、いくら高度といってもただ単に技術的な説明を延々とされても(特に多くの女性は)あまり興味を覚えないことでしょう。だから、

たとえば解体作業現場を囲っている外の防御壁にARマーカーをいくつかつけてそれをスマホなどをかざせば、解体中のビルの現役の姿や解体後の新たな建設予定のビルがARで誰でも見られるとか(もちろん安全を確保した上で)、

また解体中のビルが建てられた時代背景、このビルで過ごしてきた人たち(テナント)、ビルから見えていた風景とその街の変化などが、音楽つきの動画で見られたら(こちらはQRコードでいける)、タイムトラベルしたような気分になって、これから建つビルももっと身近に感じられるかもしれません。

他にも、キーとなる作業日の現場で解体技術をわかりやすくリアルタイムWeb中継(解体ショー!)するとか、工場夜景のように建設現場夜景としてライトアップするとか、

連日いろいろなプログラムが行われていたら、街中の工事現場がちょっと面白いスポットになるかもしれません。

一種のエンターテーメントとして、通行人が避けて通る場所から、観に行く場所に変貌させるのです。

だって人手不足で悩んでいるし

こんな素人考え、危険と隣り合わせで戦っているのにそんなチャラチャラにつきあってる時間はない、現場はそんな甘いもんじゃない!と言う反論も聞こえてきそうですが、でも今この業界は人手不足ですよね。

ビルだけでなく道路や橋梁など50~60年前のインフラも老朽化が進んでおり、対策していかなければならないのだけれど技術者が足りないと以前から問題視されています。

周辺住民の理解がより進み、この職業は面白そうだ、やりがいがありそうだと思って職人になりたい若者が増えるような試みのひとつとしてのトライアル。

ビルオーナーが個々でがんばるというよりも、建設から解体までの一生涯をメモリ化する新たなサービス事業形態を、不動産デベロッパーと建設各社、場合によっては都市計画などにも組み込んでいくような、新たな試みに広げていくことを考えてみたらどうでしょうか?

鶴岡八幡宮境内の「鎌倉殿の13人 大河ドラマ館」に行ってきました

鎌倉殿の13人」もついに実朝暗殺まで秒読みですね。

先月のとても天気の良い日、久しぶりに鎌倉に行ってきました。お目当ては鶴岡八幡宮境内で現在開館中の「鎌倉殿の13人 大河ドラマ」です。

【目次】

鎌倉殿の13人もいよいよ大詰め

「鎌倉殿の13人」では、生田斗真演じる後鳥羽上皇の側近「源 仲章(みなもとのなかあきら)」があまりにも"嫌なヤツ"のいい味出してて、twitterで流れてきた句に大笑いしてしまいました。

みなもとの なんか腹立つ なかあきら 顔はいいのに はいいのに

今も思い出して笑ってます。

ついに来週、この写真の場所で実朝が公暁に暗殺されてしまう、事件現場である鶴岡八幡宮の石段です。

↑この階段の左下の縄で囲われている所が、公暁が隠れていた大銀杏(イチョウ)のあった場所です。

倒れた大銀杏は今も生きている

2010年春の強風でこの銀杏の木が倒れてしまったというニュースには当時驚愕しました。樹齢千年と言いますから平安時代からずっと立っていたわけですが、平成でついに耐え切れずに倒れてしまった。

でも残った根は生きていて、今新しい若木がスクスク育ってきています。

↓この写真の手前のイチョウの葉がそれです。早く大きくなーれ!

八幡宮をお参りした後は「鎌倉殿の13人 大河ドラマ」に向かいます。

この館は境内の源氏池に面した、眺めの良い場所にありました。(ちなみに隣接しているカフェもとてもお洒落です)

ドラマで実際に使った様々な小道具や衣装、出演者のパネルや相関図、鎌倉の歴史など展示と映像などがあって、ドラマを観ている人には「ああ、あの時でてきた××だ!」などとハマります。

↓これは見覚えありますか?実朝の衣装です。頼朝、義時、泰時などの衣装や兜なども飾ってありました。

撮影セットで頼朝・雅子と一緒に写真を撮ったり、今や懐かしくなっている義経(菅田将暉)等身大パネルの写真を撮ったり、ミーハー全開で見て回りました。

他にも撮影・制作のウラ側などオリジナル映像も流れていて興味深かったです。

鎌倉国宝館で義時の死因を知る

この館のチケットで鎌倉国宝館鎌倉歴史文化交流館にも無料で入れるので、やはり境内にある鎌倉国宝館も見学しました。国宝がずらっと並んでいて壮観です。

様々な資料も飾ってあり、その中に史実として北条義時脚気と暑気あたりで亡くなったという資料がありました。熱中症でしょうか? 意外な死因でした。

↑境内を出たすぐの所に、中川大志が演じた畠山次郎重忠の邸宅があったと石碑が立っています。

このあたり一帯は頼朝の開いた幕府の中心地なのですから、鎌倉殿の側近たちも皆この周辺に住んでいたわけです。だから様々な旧跡が近辺のいたるところにあります。

源頼朝北条義時の墓がある史跡法華堂跡も、鶴岡八幡宮から歩いて10分位の場所にあります。ここで鎌倉の地を見下ろしながら眠っているのですね。また大江広元の墓も近くにあります。

帰り道、小町通りでお茶をして、鶴岡八幡宮から鎌倉駅までまっすぐ続く若宮大路の途中にある鎌倉 豊島屋 本店で「鳩サブレー大河缶北条編」を記念に買って、小旅行は終了です。

近郊なので旅行って距離ではありませんし、八幡宮周辺だけでしたが久しぶりの鎌倉を満喫できました。

大河ドラマもあと4回

大河の残り4回で、実朝の死後のゴタゴタ、そして政子の大演説・承久の乱と、その後どんなドラマの展開になるか楽しみです。

史実として義時の後に執権になる長男 泰時が、慣習や道徳を元に御成敗式目を編纂しますが彼の真面目さが垣間見れるような気がします。

もしかしたらその一部は現代でも名残あるのかもしれない(時効取得など)と思うと興味深く、大河の最後の主役は泰時(坂口 健太郎)なのかもしれませんね。

シャープが募った「死ぬほど嫌いな家事を教えて」

先月、シャープの中の人が「なんとなく今後の参考にするので死ぬほど嫌いな家事を教えて」とTwitter投稿したという記事を見てとても興味を持ちました。

私も瞬時にあれこれ嫌な家事が脳裏に浮かびますが、皆はどういった家事が"死ぬほど嫌い"なんだろう?

その後、その投稿の反響についての追記事を見つけて、なるほどなるほど。。

【目次】

家事の腰が重いものぐさ主婦

家事が大好きという方には尊敬しかないです。

私は主婦歴も長いけれど、別に家事を好きにはなれないなぁ。でもやらなきゃならないからやっている。

私だって家をきれいにしたいし、やればすっきり気分も良い。やりだすととまらなくなったりもするのだけれど、でも基本的にはやるまでの腰が重いのです。

でも「仕事と親の面倒があるから自宅の家事の優先度は下がってしまう」と自分に言い訳してる、結局ものぐさなんですよね。

皆の死ぬほど嫌いな家事

で 皆の投稿ですが、出るわ出るわ。色々な「死ぬほど嫌いな家事」。

アイロン、風呂の掃除、排水口の掃除、掛け布団のカバー掛け、グラタンを食べたあとの皿洗い、整理整頓、片付け、黒光りする虫退治、献立を考える、弁当箱を洗う、洗濯物の取り込み、洗濯物の収納、草取り、庭木の剪定、食器洗い、床拭き、トイレ掃除、水筒洗い、ごみをまとめること、鏡の水垢掃除、食洗機で洗った食器に残る水をとる作業

あーー、この投稿者の皆にシンパシー!

うんうん、私も嫌いだよーっ!!(妙な一体感)

投稿は「掃除と洗濯に関するもの」がツートップで特に多かったそうですが、いわゆる「名もなき家事」の存在も改めて浮かび上がったとあります。

名もなき家事とは、掃除や洗濯といった代名詞の付くわかりやすい家事ではなく、例えば「トイレット(キッチン)ペーパーの補充」「洗剤の詰め替え」「裏返った服や靴下を元に戻す」といった、ついでにササっとやるような細かい多くの作業。でも誰かがやらなければ全てが滞る重要なもの

ゴミ捨てひとつとっても「家中のごみ箱からひとつの袋にゴミをまとめる」「新しいごみ袋のセッティング」「資源ごみの分別と洗浄」「ごみの種類別に収集日まで保管」「ゴミを捨てに行く」など、細かい複数作業でやっとひとつのタスクが完結するわけで、

仕事で言えば膨大な数のプロジェクトマネジメント絶え間なく仕切りつつ実処理もしているんだと思うと改めて、ものぐさな自分もまぁ認めてあげようじゃないか、なんて思えてきます。(←自分に甘い笑)

    

家事を助ける製品開発に期待

でも自分はまだいいのです。とりあえずまだ動けるから。

でもちょっと体を動かすのすら大変な高齢の親を見ていると、"こんなちょっとした名もない家事の一作業"すら大仕事です。ましてや名のつくような家事はとても無理。

シャープさんはこの投稿結果について「積極的に企画書および会議にお使いください。ほかの会社の方もよかったらどうぞ」と、競合他社へもこの結果の利用を認める発言をしてくれています。すばらしいですね。

各家電メーカさんたちにはどんどん、ものぐさな私だけでなく高齢者をも救える「家事を助ける製品開発」に生かしてくれることを切に願っております!

失言して叩かれる偉いオジサン達。なぜそんなこと言っちゃうの?

政治家や公人が失言して叩かれ、発言撤回したり更迭されたり。昔からあったけど最近またよく聞くようになった気がします。

なぜそんなこと言っちゃうの?そんなこと言ったら叩かれるの当たり前じゃない!というようなことを平気で言ってしまう不思議。

【目次】

思っているから「つい」が起こる

女性にも若い男性にもそういう人はいますが、圧倒的多数でオジサン(年齢的にはオジイサンの場合も)に多いですね。

つい調子に乗ってしまったという場合。そこまで思っていなくても周囲にウケるからリップサービス的につい言ってしまう、まぁある意味サービス精神旺盛だともいえるけれど、でもその内容はいただけない。

そもそも、そういうことを普段から思っているから「つい」が起こるのです。思っていなかったら絶対言うはずがないことだもの。

本心では相手をさげすんだり下に見たり下心を持ったりしているから何かの拍子にそれが出てしまう。

    
大きな力を持つようなポジションの人は、自分に苦言を呈する人がいないと無意識にどんどん「常に自分が正である」幻想を抱いてしまう、いわゆる裸の王様状態になりやすいのかもしれません。

裸の王様は、自分の発言を聞いた人がどのように感じるのか事前に客観視・想像できないのでしょう。

公の場では言葉を慎重に選んでいても、アルコールが入ったり内輪のパーティーなどでウケると思ってバカなこと(=思っていること)を悪乗りして言ってしまう。

それで周囲で笑いが起こるから、ご満悦でさらに調子に乗ってしまう。これ、笑った人たちも同類なのですが。

たとえそこに客観視できる人がいても「相手が傷つきますよ」「そういうことは冗談でも言うべきではないですよ」なんて親切に諭してはくれないことでしょう。

それどころか場合によっては「足を引っ張る材料だ」と、内輪ネタだったはずの発言を週刊誌にリークするなんてこともあるのかもしれません。

会社でも客観視できないオジサンがいた

政治家だけでなく、普通の企業にもそういうオジサン達は大勢いました。ひと昔前はハラスメントとかコンプラとかの概念が今よりずっと緩かったから、飲み会の場はもちろん、仕事中でもそういう冗談めかした本心をよく聞かされたものです。

周りの若手(特に女性)達は皆「しょうもな」と感じながら、時には嫌悪感を抱きながらもオジサン相手に愛想笑いしてあげていました。

それでますます調子に乗せてしまったかもしれません。ウケると勘違いさせた方も罪なんだと思います。

でもその人達も、社内で波風立てたくない、嫌われたくない、などといった保身で我慢していたのだと思います。

実際、そういうオジサンに対し正面切ってモノ言う正義溢れる若い女性がいましたがその後、他の飲み会の場などで「あの子は怖い」とか「扱いづらい」とか「かわいくない」など悪く言ってオジサン同士で笑いあってる図を見せられた者は「自分はそうなるまい」と、流すことを心に決めてしまうのです。

それがわからずどんどん調子に乗り続けたオジサンは、ある日突然パワハラとかセクハラで刺されたりして、でも本人はそれが一体なぜなのか本当にわからないのです。ぜんぜん"突然"じゃないのですが。。。

これが政治家や有名人の場合、もっと大変なことになります。過去に遡って「そういえばあんなこともこんなことも」とほじくり返され、社会的に抹殺されたりもする。

そういう風潮もどうかと思うのですが、でも少なくとも上に立つものであれば人の傷つく痛みは感じとってほしい。

自分も同じ傷を負えと言うのではありません。でも自分の発言が人を傷つけることに思い至れない想像力の欠如した者は、そういうポジションにいてはいけないと思うのです。

ギネス世界記録、178人の「タナカヒロカズ」さん。佐藤・鈴木さんも反撃?

世の中の「タナカヒロカズ」さんが大集合してギネスに挑戦し、みごと同姓同名の人を集めたギネス世界記録を達成したという面白いニュースが目にとまりました。

【目次】

あなたの周りの「タナカヒロカズ」さん

今回3歳~80歳までのタナカヒロカズさんが一堂に集結。元プロ野球(近鉄)選手の田中宏和投手も参加したとのこと。

今までは米国の「マーサ・スチュワートさん164人がギネス記録だったそうですが、日本は漢字の違いでばらけてしまうため、過去の挑戦では記録更新ならずだったといいます。

でも、漢字ではなく読みで良いということがわかって今回再チャレンジした結果みごと178名でギネス記録更新につながったとのこと。

呼びかけに応じその会場に行ったタナカさんの中には、きっと「俺はギネス世界記録保持者なんだぞ」と周囲に自慢している人もいるんだろうな、なんて勝手に想像して笑ってしまいました。

今はこのサイトでさらに「タナカヒロカズ」さんを募っていて、まだどんどん人数が増えています。

    

日本で最も多い同姓同名

一方、日本で最も多い同姓同名は「田中 実さん」だそうです。私の学校や会社にも「田中 実さん」がいらした記憶があります。

調査結果や年によっても違うけれど、以下「佐藤 清さん」「佐藤 進さん」「鈴木 茂さん」あたりがBest5に入るようです。やはり田中、佐藤、鈴木の3大苗字は強いですね。

それにしても上位は皆名前が一文字というのはなんだか興味深いです。

このあたりの同姓同名の皆さんはきっと黙っていないことでしょう!きっとギネス記録更新にむけ集結を図るかもしれませんね。

発起人のタナカさんは「こんなばかばかしい記録」と言って笑っていますが、何か暗いニュースの多い中で、こんなチャレンジも悪くないですよね。

君の名は。瀧と三葉の再会は天文学的な確率

先日テレビでもまた「君の名は。」を放送していましたね。ご覧になった方も多いことでしょう。封切られた当初、職場でも話題になっていて私も映画館に観に行きました。

この感動的なラストシーンの実現性を、大真面目に数学的に計算し確率をはじき出した記事が面白かったのでご紹介します。

【目次】

瀧と三葉の奇跡の再会

瀧と三葉がお互いの記憶をなくして数年後、すれ違う電車の中からふと目があった二人は何かを感じ、電車を降りて"誰か"を探し始める・・そしてついに神社の階段で再開するラストシーン。

の神社の階段のモデルは、丸の内線 四ツ谷三丁目駅、JR中央線 四ツ谷駅が最寄り駅の「四谷須賀神社 男坂」。

階段の上から見下ろす風景はまさにアニメとそっくりです。(いや違った、アニメが現実の風景とそっくりなんでした・・)

ファンの間で聖地となっていて巡礼者がひっきりなしに訪れていたようですが、今はどうなんでしょう。

この記事は、現実の地理上で再会できる確率を計算してみたというものですが、驚くほどの低い確率に逆に感動してしまいました。

天文学的な出会う確率

すれ違いざま目が合った二人が乗っていたのは違う電車ですから降りた駅も違います。そこからその神社へ、同じタイミングで同じ場所にたどりつく。これがいかに天文学的な確率であるかが計算でわかります。

    
別に"その神社に行く"ということが決まっているわけでもなく、たまたまそこで出会っただけなのだから、その"たまたま"は二人それぞれの道の分岐点ごとにどれを選ぶかでどんどん確率が下がっていくわけです。

計算の詳しいことはこの記事を読んでいただくとして、結論は

2人が須賀神社で会う確率は「299溝 7520穣 8460杼7888垓分の1」

ひーっ!(コウ)とか(ジョウ)とか、初めて聞く単位ですよー。

億・兆・京・垓ぐらいまでは聞いたことがありますが、溝というのは垓のさらに3つ上の桁です。

それをふまえると、一体どれだけ強い運命の糸で結ばれていたんだって話ですね。

でもよく考えれば私たちだって、この時代のこの地球のこの日本のこの場所に生れ育って、恋人やパートナーなど特別な人とその時その場所で出会った確率って、実はもっと天文学的な数字で、まさに"運命"なのかもしれませんね。

♪ あの日あの時あの場所で君に会えなかったら、僕らはいつまでも見知らぬ二人のまま

小田和正ラブ・ストーリーは突然にの歌詞を思い出してしまいました。

ちなみにですが・・・瀧君がアルバイトしていたお洒落なカフェのモデルはその神社から歩いて15分、新宿御苑駅から徒歩5分位の「カフェ ラ・ボエム 新宿御苑」だそうです。

ブームも一巡していることですし、もし新宿界隈に行くことがあれば神社やこの店に寄って映画のシーンを思い出してみてもいいかもしれませんね。

コロナ以降初めての飲み会で思う

コロナ以降初めて会社での飲み会がありました。課のメンバーの送別会と、以前異動してきたメンバーの歓迎会もずっとできずにいたので、遅まきながらそれも兼ねた会でもありました。

【目次】

世の中はすでに大賑わいだった

会社のルールではまだ大勢での飲み会は禁止されていますが、×人以下なら許可するとのお達しがあったため、大手を振って開催できるようになったのです。

定時後にオフィスから皆で最寄り駅近くの飲み屋街に繰り出しました。本当に久しぶりの感覚でした。

夜の街はすでにコロナも何もなかったように大勢の人が溢れかえり、飲み屋や飲食店にも若者が列をなしています。

コロナ前を思い出す光景で、世の中はすでにこんなになっていたのか!と驚いて、あたりを見回しながら歩いていました。 
    
「飲み会をやろう」という話が出たのは課のミーティングの場でした。その時私は正直言って心の中で躊躇していました。断る気はなかったものの、あまり気乗りはしなかったのです。

というのは、感染者は減っていてもまだコロナは気になるし、そしてもうひとつの理由・・それは「マスク」です。

乗り気になれなかった理由

外で常時マスクをしだしてすでに2年半以上。職場の面々の前で正面切ってマスクをはずすのが少しためらわれたのです。

ずっと覆っていた口元をさらけ出すことになる飲食の場。いい歳して何言ってんだと思われるかもしれませんが、何だか人前で服を脱ぐような気恥ずかしさを感じてしまうのです。慣れってすごいですね。

以前から一緒に仕事をしている人はいいのですが、今のメンバーの半分はコロナ後に異動などで同じ部門になった人たちなので、お互いまだマスクをとった顔をちゃんと見たことがありません。

私の顔はマスクのお陰で、ほうれい線も、目の下や口元のシワも、アゴまわりも隠せて多少は若く見せられていたのを、年齢そのまんまの顔をもろさらすことになるので、若いメンバーに「うわーマスク取ったら超ババアじゃん」と思われるだろーなぁ・・・と、それで少しどよーーんとした気分になっちゃって。

皆私の年齢は知っているし、そもそも最初から誰も私の顔に興味なんかないし、そんなこと思うなんてむしろ自意識過剰だと失笑されるのはわかっているのですが、何歳になってもそれが女心なんす・・・

でもいったんマスクを外して飲み食いを始めたら、もうそんなことはどうでもよくなって楽しく過ごしてしまいました。まぁ何て思われたかは知りませんがね!

それにね、想像と違った顔でびっくりしたのはお互い様だったんですよ。「まさかマスクの下が髭面だったとは!」という男性メンバーもいて、全くそんなイメージではなかったので少し驚きました。

課の皆と飲みながら仕事以外のバカ話をして少し新鮮な気持ちにもなれたし、たまにはいいですね。

ただ昨今の厳しい財政状況から、今の自分には飲み会1回の費用はちょっと高くて「これでランチ×食分だよなぁ…」とか思ってしまうので、ほんと「たまに」ぐらいで十分ですけどね。。。

10年ぶりにインフルエンザワクチンを打ってきました

久しぶりにインフルエンザワクチン接種をしました。

この10年位、ワクチンを打たずにいても別に感染しなかったので特に意識もしていませんでしたが、Withコロナに舵を切り出した今冬は「ちょっと打っておいたほうがいいかな…」と思ったのです。

【目次】

患者がほぼいなかった3年

この3年近く国民あまねく、手洗い・マスク・行動制限といったコロナ感染対策をしていたおかげで、コロナ禍の日本でインフルエンザの流行はありませんでした。

ここ数年のインフルエンザ患者数(東京都)は下記のグラフで一目瞭然です。

<定点医療機関当たり患者報告数>

コロナ前の流行シーズン(2018-2019年)は多くの人が罹患していました。グラフにない2016-2017年も18年とほぼ似た感じです。でも新型コロナ感染が広がった2020年からはグラフ上ほとんど見えません

"予防対策というのは感染を防ぐためにとても有効なんだ"ということを、風邪もひかなかった自分自身実感しましたし、このように数字でもはっきり出ているわけですが、

ここにきて様々な制限が緩和され、海外からの人流も復活し、人々の行動量も増えていきた今冬は、しばらくこのウイルスに接していない社会全体での集団免疫が形成されていないため、インフルエンザが大流行するのではないかと囁かれています。

日本がインフルエンザを予測する際に参考にするのはオーストラリアの状況だそうです。

南半球で日本とは季節が逆のこの国の流行り方が日本の冬の先行指標の役割を担っているのですね。

そのオーストラリアでは秋から感染者数が急増してA型インフルエンザが流行し、また新型コロナとインフルエンザの同時流行「ツインデミック」も起こったとの嫌な話も聞こえてきます。

ウイルス干渉で重症化しやすい可能性も指摘されているようなので、今年は念のためワクチン接種をしておこうと思ったのです。

医院によって倍も値段が違う

私が行った医院は結構価格が安くて人気があるようですが、地元や勤務先の近くなどいくつか病院のワクチン価格を確認してみたところ、約2,500円~5,000円/回と倍もの価格の開きがありました。

この予防接種は任意であるため自由診療です。そのため病院やクリニックごとに価格を自由に決めることができるとのこと。

病院の立地や人件費、仕入れ先などを鑑みて各病院が独自に価格を決めるためこんなに差が生じるわけですね。

逆にあまり安いと「ちゃんと効果あるのか?」「接種量が少ないんじゃないか?」とかあらぬ不安を抱いてしまいそうですが、価格によってインフルエンザに対する効果が変わるわけではないそうです。だったら安い方がいいよね。

もう11月。コロナもインフルも流行りませんように・・・

また駅前でドラマ撮影、今度は見物を決め込む

6月に駅前でドラマのロケに遭遇し、でもなぜか交通整理スタッフに静止されなかったため、知らずにエキストラと一緒に歩く羽目になってしまった話を書きましたが、

そのひと月後にもまた同じ場所でロケをやっていました。以前と同じ番組だったのかどうかはわかりませんが、今度はさらに大がかりな撮影でした。

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平日夕方の撮影で大勢の人だかり

今度の撮影は平日でした。私が駅から出てきた時にはあたりはもう暗くなりつつあったので、最初に目にとびこんできたのはカラフルな撮影照明の色とりどりの明かりでした。

「あれ?」と思って歩き進めると、大勢の人だかり多くの撮影機材、そして撮影隊の人たちが見えてきました。

「またここで撮影してるんだ」と先月のことを思い出しつつ、帰り道でしたし「今回は少し見物していくか」と近づいて、しばらくその場で立ち止まり撮影風景を見ていました。

周りから聞こえてくる会話や、その場で検索したTwitterなどから、この撮影は何のドラマか・誰がいるのか・何色の服を着ているのが女優の誰それか・昼からずっと撮影していることなど様々なことがすぐわかりました。

Twitterはこういうリアルタイム情報にはすごい威力ですね。
    
それは先月までやっていた夏ドラマで、録画して毎週観ているものだったのでちょっとワクワクしました。好きな主演俳優のロケ風景写真もTwitterに投稿されていたので「どこどこ?」と探す単なる野次馬と化していました。

ドラマの設定は現実とは全く違う

今回は見物人は徹底的に排除されました。規制する係もひとりやふたりではなく、広範囲にわたりどこで見ようとしても「すみませーん!そこ立ち止まらないでください!」と追い払われます。見物人とのいたちごっこが繰り広げられていました。

しかしそこまでやるなら平日の夕方、通勤時間帯の駅近くなんかで撮影とかしなきゃいいのにとも思いましたが…

その時見たものが実際のドラマではどのように使われるのか、興味を持ってその後のドラマを注意深く見ていたら、約1か月後にバッチリ見覚えのある光景が何度も出てきました。

「なるほど、こういうシーンで使ったのね」とはっきりわかって面白い。現実とは全く異なる設定場所となっていて、知っている身としては「ありえないでしょ」なのですが、それもドラマの面白味です。結局私も単なるミーハーですね。

秋ドラマも出そろったことですし、さあどれが一番面白いかな。

私にとって本屋といえば有隣堂、「かながわPay」で買ったもの

お題「地元では当たり前のものなのに、実は全国区ではなかったものってありますか?」

子供の頃も今も、私の生活拠点はいつも東京か神奈川だったので、私にとって本屋といえば有隣堂でした。

最寄り駅前にも勤務先の近くにも当たり前のように有隣堂があったから、何十年もの間この書店は全国区だと信じて疑わずにいたのです。

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有隣堂のブックカバーがうれしかった

昔から本屋が好きで、特に買う目的がなくてもふらっと立ち寄ってあれこれ棚を見てまわっていると、何かしら面白そうな本を発見しては結局買って帰ったものです。

文庫本を買うと、10色(昔は7色)から好きな色を選べる有隣堂名物のブックカバー「文庫カラーカバー」をつけてくれます。

無地でしっかりした紙でできているこのブックカバーはシンプルだけどちょっと高級感というか、ワインレッドなど色によってはお洒落で大人な感じもして、学生の頃はレジで本にカバーをかけてくれる店員さんの手元を見ながらちょっとワクワクしていたものです。

でも文庫本以外のカバーはフツーというか、文庫本との落差が大きくて正直つまらなく思っていました(今も同じ思いです)。

紙質はあのままでもいいから文庫本と揃えて無地で薄いカラーに小さなロゴだけのデザインとかにすればいいのに。

    

全国区でないことに気づいたのは

有隣堂が全国区ではないことを知ったのはなんと今年!でした。

「え、そうなの!?」と驚いたものの、その事実をはっきり認識したのは「かながわPay」でした。

「かながわPay」というのは神奈川県が実施しているキャッシュレス・消費還元事業で、加盟店で「かながわPay」を利用すると決済額の10%または20%分が還元されるというありがたい施策なのですが(神奈川県民以外でも利用できます)、その加盟店に有隣堂もありました。

還元率はなんと20%。例えば1,000円の本や文房具を買えば200円戻ってくるのです。「××Pay」で支払う仕組みなのでそのポイントもつきます。「これは使わない手はないでしょう!」と喜んでいたのですが、

加盟店の還元率は大企業の場合10%で、20%還元を謳えるのは中小企業や小規模事業者のみというルール。

ふと思い立って有隣堂公式サイトで店舗一覧を見てみると・・・神奈川と東京にこれしか店舗ないの!? 最近まで全国区と思っていたぐらいですから、想像以上にこじんまりした店舗数にちょっと動揺、それに昔よく行っていた店舗もいくつか消えていることも少しショックでした。

やっぱり有隣堂は20%ってことなんだなぁ…と改めてちょっと複雑な心境になった次第です。

余談ですが、全国区だと思っていたものの横浜市伊勢佐木町有隣堂本店があることは昔から知っていました。

この本店前でギター弾きながら路上ライブしていた若者が「店前で邪魔だ」と有隣堂に追い払われ、その向かい側の百貨店「松坂屋」前で歌っていたこの二人組が、のちに有名になった「ゆず」だというのは割と有名な話です。

有隣堂にはモノ申したいこともあるけど

それにしても有隣堂って本当に商売っ気のない本屋だと思うのです。改善すればいいのにと思うことは、昔から親しんできただけにあれこれあります。でもきっと「地元で細々商売できればいいんだ」という古い商店街のおやじみたいに思っているのかな。

以前もこのブログで触れたことがあるのですが、YouTubeの「有隣堂しか知らない世界がすごく面白くて有隣堂のことだけじゃなくて、本や文房具や雑貨などが好きな人なら絶対ハマるに違いないのでお勧めです。(詳しくは↓を読んでみてね)

私もここで紹介されていた食品(一部の有隣堂店舗では食品も売ってる)や、財布有隣堂で「かながわPay」で購入しました。本じゃないのかよ!と突っ込まれそうですが、、、

がら空きでも隣に座る人、の不思議

「がら空きでも隣に座る人 心理は」という記事を読みました。

そう!いるんですよねこういう人。「まわりにこんなに席が空いているのになんでわざわざ私の隣に座るの!?」って人。

今までも電車内などでそういう経験を何度かしましたが、そのたび少し警戒してしまいます。そういう人の心理ってどうなっているのだろうと常々不思議に思っていました。

【目次】

パーソナルスペースに無頓着な人

この記事によると、自分の「パーソナルスペース」に無頓着な人というのは結構いて、そうした概念の希薄な人がなんと1割程度もいるというのです。

パーソナルスペースとは、他人に近づかれると不快に感じる自分の周りの空間のこと。

こういうのってリスク回避のための人間の本能だと思っていたから、それを感じにくい人が1割もいるとは驚きました。

ガラガラの中で他人が真隣に座ってきたらどうしても、その人が何かよからぬ目的を持っているのではないか?とか勘ぐって少し緊張してしまう。荷物にも少し警戒します。

しばらくして別に他意はないようだと少し安堵するも、すると今度は「ではなぜ!?」と不思議が立ってきます。

私の隣の他に、その両隣も向かい側の座席もほとんど空いているのに他人のすぐ隣に座るのに"他意がない"というのは、私にとってはちょっと理解できない感覚で不思議に思ってしまうのです。
    
パーソナルスペース侵害の居心地の悪さ以外にもそもそも、隣に人がいなければ単純に体を窮屈にすぼめず(隣の人と接しないように)もう少しゆったり座れるわけですからね。できることなら少しでも広々している場所に座りたい、と思うのが自然ではないのかな…

こういう人はきっとそういったこと全て気にならず、逆に「別に気にしなきゃいいじゃん?」と思うのでしょう。でもこちらは気になってしまうし、あからさまに席を移動するのも何となく憚られて、何かいらぬ気苦労を背負わせられてる思いです。

隣の人を壁か何かと思ってる?

そういうシーン以外でも、隣の人がスマホに夢中で操作で肘を張るから隣の私に思い切りあたっていることがあります。だから私が遠慮がちに(状況によってははっきりと)腕や体をずらしても押し返しても全く意に介しません。

意に介さないというよりおそらく意識はそこになく、ゲームや漫画・動画などスマホの世界に入り込んでいる。逆にすごい集中力だなと思うほどです。

公の場で周囲に無頓着な人に悪気はないのでしょう。その人にとっては隣に座っている人は人間ではなく、単なる壁か何かでしかないのかもしれません。

でもそういう人は危険やリスクを察知する能力が低いともいえそうです。何か違和感や気配を感じられずシグナルにも気づけず、トラブルに巻き込まれたり何かあった時逃げ遅れたりする確率がおそらく高いのだろうなと、はたから見てて思うのです。

「おじさん構文」をちょっとだけフォローする

ネットやTVで話題になっているおじさん構文」。おじさん世代のLINEなどでのメッセージの書き方を揶揄したものでこんな特徴があるそうです。

・書き出しにやたらカタカナの挨拶を使う
・聞かれてもいないのに勝手に近況報告する
・文中にやたら絵文字や顔文字を使用する
・メッセージが長く句読点が多すぎる

何か少しドキッとするものもありますが、逆におじさん・おばさんの立場からどうしてそうなるのか背景を紐解きたいと思います。

【目次】

ルーツは手紙のマナー

私の子供の頃はまだPCもスマホもありませんから、人とのやりとりは電話以外では手紙が常套手段でした。

遠くの祖父母に近況を伝えたり、毎日学校で会う友達とも頻繁に手紙のやりとりをしていましたし、ネットの知り合いとやり取りする行為に近いものには”文通”という手段がありました。

手紙では最初に季節の挨拶などをして、まず自分の近況など前置きの文章を書いてから初めて本題に入るということを礼儀として教わり、それを長年実行してきたのです。

のちにPCが普及し電子メールが一般的になっても、この手紙文化はデジタルの世界にも持ち込まれたように思います。

今でも仕事上のメール冒頭には「日頃より大変お世話になっております」とか、社内でも「お疲れ様です」「ご無沙汰です。その後調子はいかがですか?」などの短い一文がまずあって、「さて、先日ご相談した〇〇の件ですが」といった具合に本題に入っていく。

最後には「どうぞよろしくお願いいたします」と、別に何もお願いしてないけどとりあえずそれで閉めるといった、いわゆるメール文の「型」が通用しています。

「型」はテンプレートとして悩まずにすみ便利ですし、それにおじさん・おばさんにとってそういった文章は礼儀や作法であったり、相手へのちょっとした心配りであって、若者から揶揄されるようなことをやっている感覚は持ち併せてはいないと思うのです。

むしろそういうものを全てそぎ落とした超淡泊な相手のメールには、一抹の寂しさを感じたり、ちゃんと伝わっているか心配になったり、場合によっては失礼なやつだと思ってしまうおじさん・おばさんも大勢いるはずです。

仕事にそんなタイパ悪いもの持ち込む必要ないだろうと反論されそうですが、そうなるとコミュニケーション論の世界になりますね。

長文になりがちなのも、書いた内容をきちんと理解してもらいたいという気持ちの表れという側面があります。結果として齟齬が生じにくくタイパが良いと信じているから。
    

絵文字は心配りの一環

90年代に登場したポケベルは短い文字数制限のため、当時の若者はメッセージをできるだけ短くする数字化の工夫をして(おはよう=0840)謎解きや暗号のようにそれを楽しんでいました。

ガラケーi-modeが出てきてメールで絵文字が使えるようになると、何しろお手の物ですから皆多用していました。ニコニコマークなど文字だけでは伝えづらい感情を表現するのに便利ですからね。現在Teamsのチャットでも感情アイコンはよく使われています。

実はこれは、相手への心配りの一環でもあるのです。

例えば後輩や部下に対し何か誤りを指摘する場合、文章のみだと少しきつく感じて傷つくかもしれない。面と向かっていれば表情や仕草でフォローできるけど文字だけなので「怒ってはいないよ、でも今後気をつけないとまずいよ」というニュアンスを表すために、その文章の後ろに笑ってる絵文字などをつけているわけです😊 ^_^ (wwとか草は嘲笑のニュアンスだから使わない)

この基礎となったのはパソコン通信2ちゃんねるなどで、様々に生み出された感情の絵文字をiモードでも踏襲したものと思います。

LINEの登場は2011年東日本大震災後のことですからその頃はまだスタンプはありません。でもスタンプ自体も、感情などを絵文字で表すという概念がそのまま採用されたものだと思います。

文字以外のもので気持ちを表現するというのはとても日本らしい文化だと思います。

おじさんもTPOが大切

だから当時の若者=今のおじさん・おばさんは絵文字やスタンプや様々な色や文字種を駆使して、一生懸命自分の思いを相手に伝えようと、ついつい過剰になってしまうことがあるのでしょう。

ただそれをチャットやLINE にそのまま持ち込めば、私でもやはり少し違和感を感じそうです。同世代の男性が絵文字いっぱいカタカナいっぱいビックリマークいっぱい多色使いの長文LINEを書いていたらちょっと…。本人を知っていれば一生懸命さに微笑ましく思うかもしれませんが。。。

やはりおじさん世代もTPOに応じて書き方を使い分ける必要があるかもしれませんね。

何もかもどんどん短くなってきている現在、ブログのこんな長い文章を読む人もほとんどいないのでしょうが、どうしてもこうなってしまう「おばさん構文」。人のこと言えないよねぇ (;_:)シクシク