人生の午後3時

人生後半もまだまだ惑いっぱなし

リライブシャツ自主回収に応じて返金してもらった件

以前、背中・肩・腕など徐々に場所が変わる上半身の激しい痛みに長いこと悩まされていました。医者で診てもらっても明確な診断はつかず、せいぜい湿布を処方される程度で何の解決もされず悩んでいました。

そんな時に知った「リライブ」シャツ。
なんでも、生地の裏側に鉱石を含んだ特殊なテープ加工を施してあって、それが遠赤外線を特定部位に輻射して血行が良くなり筋肉のハリコリを改善するということで、一般医療機器として販売されていました。

「Tシャツが11,000円か…高いなぁ(涙)」と思いつつ、それでも痛みが少しでも和らげばと救いを求め「リライブシャツα」を公式サイトから購入したのです。効果のほどはわからないので、まずは1枚買って本当によければ買い足そうと思っていました。

届いたその日に着て寝てみた翌日、痛みが軽くなったとまではいかないものの「なんとなくいいかも、買ってよかったな」と思いました。

ただ、その次の日には早くもそんな実感は持てなくて、それでも続ければ痛みも少しは改善するのではないかとほのかな期待でパジャマがわりに毎晩着続けました。

でもひと月しても、特に良くも悪くもならないというのが正直な感想でした。

    

当時、体が硬くてまったく前屈ができない出川哲郎が、リライブを着たら急に柔らかくなってキレキレに体を動かしているTVCMをみるたび「いやいや、そんないきなり効果でないし!」と心の中でつっこんでいたものです。

温熱効果で血行良くなるならあわよくばのダメ元で、劇的に痛みが治るとまでは思ってはいませんでしたから、別に「詐欺だ!」みたいな怒りはなかったものの、でも正直残念でした。

ネットの口コミなどでは効果があったという人も複数いたので「こんな強い痛みではなくて、肩凝った程度であれば私も少しは効果を感じたのかもな」などと未練がましく感じていました。

結局買い足すこともなく、その1枚もいつのまにか引き出しにしまったまま着なくなっていました。

そしてずいぶんたった11月、リライブシャツαを自主回収するというニュースをみて驚きました。まさに私の買ったTシャツは該当商品だったので、一瞬「え?これインチキだったの!?」と思ったのです。

公式サイトの説明を読むと、別に効果がないとか安全性に問題があったわけではなく、衣類全体ではなく一部分のみに遠赤外線を輻射する製品は「家庭用遠赤外線血行促進用衣」には該当しないのに一般医療機器を名乗っていたことから回収するということでした。

最初「そこまでしなくても」とも思ったのですが、そういえば痛みから逃れたい一心の中で"医療機器"という文字は確かに決め手のひとつだったことを思い出し、致し方ないことなのだなと思い返しつつ、企業にはちょっと信頼性も感じました。

しまいこんだままだったことからも回収に応じることを決め、ネットで回収申込をし、指定日に宅配便に来てもらいTシャツを手渡して終わり。後日回収完了のメールが届き、そこから半月程度で返金がありました。

返金は、銀行振込かAmazonギフトカードでの購入金額分の返金、またはリライブの製品引換クーポンの付与から選べます。クーポンは15,000円分と購入価格より高額なので、リライブの他の商品を買う場合はクーポンの方がお得です。

機能回復ウェアが注目されたのはリライブがきっかけだったように思いますが、最近はいろいろなメーカーから出されています。

テレビCMも多いし、やたらあちらこちらで売っているのも見かけるようになりました。今まさにリカバリーウェアブームのようです。

BAKUNE(櫻井翔)とか、ReD(大泉洋)、VENEX(北川景子愛用)、ReFa、ワークマン…恐らくリライブの二の轍は踏まないように表現などは注意しているのでしょうが、あまりにも次々と似たものが出てきてどれがいいのかよくわかりません。

リライブは回収してしまいましたが、こういう状況を見ているとまた他のを試してみたくなってしまいます。

こりないですね。いえ、こりあります。(肩こりがね)

流行語年間大賞「働いて働いて働いて…」にちょっと共感してしまった理由

昨今の流行語大賞は、ノミネート時に初めて聞くようなものがあったり、「それって流行語でも何でもなくない?」という単なる事象であったりで、ちょっと引いてて見ていて「ふーん…」←(納得いってない)で終わらせていました。

ネットやSNSの発達により皆が同じものを見聞きしていた時代ではなくなって久しく、一人ひとりが興味を抱く狭く深い世界の中で生きられるようになったために、その世界に接していない人間には「何それ?初めて聞く」といったことが起こるのでしょう。

そういう意味ではもう、「老若男女問わず万人が知っている」流行語も流行歌も、テレビ番組や有名人なども減っていくのは自然の流れなのでしょう。


でも今年の年間大賞の「働いて働いて…」は、割と最近話題になったものだし、広範囲でかなりの認知度はあったように感じます。

高市氏が自民党総裁に選ばれた時に発したこのフレーズを初めて聞いた時、正直ちょっと胸に来るものがありました。

もちろんあれは高市氏が"自ら働くぞ"という決意、そして自民党内に対し発破をかけた言葉であったことは明らかだったので、過重労働の強制につながる的な否定的意見も一部で聞かれましたが、私は全くそうは捉えませんでした。

    

この言葉は多分、リゲインのCM「24時間働けますか」が流行語になった昭和の時代に社会人として働いていた人には結構ささったのではないでしょうか。

実際、私も長年にわたり毎日長時間働いてきました(今もまだ結構長時間労働だけど)。くたくたになって家路につき、食事をつくり家事をして、眠れて4時間、一瞬で朝がきて、毎朝通勤電車でおしつぶされながら1時間半かけて会社に行き(在宅勤務などありませんので)、次の日も12時間は働く。そういう毎日でした。

でもその頃は結構皆そんな感じで、同期や先輩たちが21時頃から「じゃあちょっと行くか!」と、そこから飲みに繰り出したりしていました。終電がなくなればタクシーに相乗りして各宅を回りながら帰ることもよくありました。

厳しい残業規制などない時代、つわものは残業代だけでも生きていけるような有様だったようです。

今振り返ればまさにリゲインCMの世界だったのですね。きつくてもそれが会社、それが仕事というものだと思っていました。

まぁ若かったのでできたことでしょう。でも決して良いことだとは思っていません。それが続いたり年を経れば無理は心や体に表れます。そういう生活を賞賛や強制はしません。が、

ただ、ただですね。最近ちょっと行き過ぎてきている感もするのです。

在宅勤務、時短勤務、育児介護にも本当に従業員に優しいホワイト企業。もちろんこれらの仕組みが必要な従業員は享受すべき権利でそれ自体になんら問題はありません。

でもいつの頃からか、ワークライフバランスとか36協定などを理由に会社側が、強制的な有休消化とか、残業も月数時間以下に抑えろとか、なんだかちょっと「休んでばかり」って感じになっていて、

すると業務自体も何となく緩慢な感じがぬぐえなくなってきたのです。

今日できることも残業になるから明日でいいよ、来週でいいよになり、そうしてなんか全体的に緩んでくる。"休む"とか"やらない"ことが賞賛されるような、違う方向の空気感。

リゲインな働き方はNGだとしてもその時代を生きてきた世代には、この行き過ぎた感のある企業の緩さには、ちょっと日本がダメになってしまいそうな不安を感じてしまうのです。

こんなこと言ったら非難されるかもしれないけど「あなたはもっと働きなさいよ」と言いたくなる社員(年齢問わず)も結構いるわけです。業務品質や業務生産性が低い上に労働時間も短く、さっさと帰り休みも多い。でもなんら就業規則に違反はしていない。

とはいえ会社としては業務上のノルマや目標値はあるわけで。一部のできる従業員だけ働いて働いて、でも規制にひっかかり注意される。そして派遣や業務委託の方々の方がずっと優秀で頑張ってくれている。でもその"働かない社員"との給料にかなりの差があるのです。

うーん、本当にこれでいいのか?

これ、高市氏のフレーズが刺さった理由かもしれません。党内の働かない高給取りのおじさんおばさんに「働いて働いて働いてまいりましょう」って、緩んだ空気感に、ダメになりそうな日本に活を入れてくれたことにちょっと共感しちゃった、みたいな。

世の中の"気"が急に変わった感じがする。2013年と同じ感覚を思い出す

巷ではすでにあちらこちらでクリスマスのイルミネーションが飾りつけられ、きれいな光がまたたいています。

今年は6月からそしてなんと10月後半までずっとほぼ半袖で過ごせていた、まるで
亜熱帯の国のようだったから、なんだかまだ夏の感覚が抜けきれていなくて、「え?クリスマス?」みたいな、狂った時間感覚に少しとまどっています。

でも結構前から来年のカレンダーを売ってるし、TVCMではクリスマスケーキやお節の予約も流れてくるし、だって11月だもの、当たり前なんですよね。

銀杏並木も例年とちょっと違います。地元ではまだ青いままのイチョウの木が多いけれど、一方ですでに黄色くなったものもあって、毎年一斉に同じように色づくのとは違って紅葉の速度がバラバラなのです。

それに紅葉したイチョウの葉もよく見ると、あまりきれいではないものが多い。長すぎた、そして暑すぎた今年の夏。イチョウの葉は一部焼けたようにうすく茶色がかって乾燥してしまったものも多くて、可哀想にと見上げながら思っていたものですが、

その乾燥した葉が紅葉してもやはりまっ黄色とはならず、葉のふちが茶色いのでカサカサした感じなのです。

日本の四季が狂ってしまって、この先もこれが普通になっていくのでしょうか。
    

一方でクリスマスのイルミネーションは、地元のショッピング施設とか駅前とか、良い意味でなんかいつもと違うのです。毎年こんなに色々飾り付けていなかった。

今年初めて飾り付けられた場所もあるし、今まであった場所ももっと広範囲に華やかになっているし、見る側としては綺麗でうれしいのですが、でも「どしたの?急に」という感じもするのです。

最近は普通の週末も人の出がかなり多いし、駐車場待ちの車の列もやたらと長いし、スーパーの呼び込みの声もあんな威勢のいい大声じゃなかったのに…

なんか今までと色々と違う、まさに「どしたの?急に」な感じで、何だかやけに景気良い感じなのです。

これってやはり高市政権の誕生と関係あるのでしょうか?なんか世の中の気分が少し変わったのでしょうか。

この「急に変わった感じがする」というのは以前にもあったなと思い出されます。それは2013年のことでした。

2008年のリーマンショックは株価の大暴落や世界的な景気後退を引き起こしました。日本企業にも大きな悪影響を与え、あまたの取引先が厳しくなって売り上げも大幅に落ち込み、仕事上も本当に厳しくしんどい何年かを過ごしたものです。

さらにプライベートでもショックな事件が起こり、それでものろのろと立ち上がろうとした2011年、今度はあの東日本大震災。泣きっ面に蜂で、ストレスからか翌年には私は自律神経と体を壊してしまいました。

そして2013年、デフレ脱却・積極財政・民間投資による成長戦略の「3本の矢」政策、いわゆるアベノミクスを掲げた第二次安倍内閣誕生により世の中の"気"が「急に変わった感じがする」と感じたのです。

この年、2020年東京オリンピック招致が日本に決まり(「お・も・て・な・し」の時です)、富士山が世界文化遺産に決まり、経済が復活し日本が活気づいて「急に変わった感じがする」ことを感じたあの頃。
(まさかその数年後コロナ禍が起こるなど誰も予想だにしていませんでしたが)

そして今また(あくまで私個人の印象ですが)日本が2013年頃の空気を醸し出してきた兆しを感じているのは私の勘違いでしょうか。

ただあの頃とは世界情勢や国内の状況はかなり変わっていて、リスクも多々ある中で、そうやすやすとは戻らないかもしれません。

それでも私は日本人の底力を信じたいのです。

国会中の居眠りやヤジは品位あるものなの?いい加減やり方変えませんか

高市総理の所信表明演説の際のヤジが、今回クローズアップされ問題視されましたが、私もずっと昔から、TVで国会の様子を見るたびにヤジと生産性の悪さに違和感を抱いてきました。

そもそもあのヤジというのは何なんでしょうか?国会の華とか言われているようですが、そんなもの本当にいるのでしょうか?

今回のヤジも私にはただの妨害のようにしか感じられませんでした。
演説中に複数のそれも長いヤジが飛び交い、話の内容をしっかり聞きたい視聴者としてはイラつきましたし、高市さん本人もかなりしゃべりづらそうでした。

通常の議会でもそうですが、ましてや"所信表明"という場はその人自身の思いや考えを聞いてもらう場なのですから、他人が口をはさむべきものではないでしょう。

思い出したのは近年の選挙演説妨害です。候補者の街頭演説中に、他陣営がそのスピーチに拡声器でかぶせるように否定的なことをがなりたて邪魔をするシーン。うるさいだけでどちらも何言ってるかわからない。まさにあれを思い出してしまいました。

子供のときから「お友達がお話ししているときは静かにききましょうね」と教わってきませんでした?それは大人も同じ。それが会話・コミュニケーションの第一歩です。

もし自分が話している最中、それも思いを伝えたい大事な話の最中に、途中で話を遮られて腰を折られたり口を挟まれ、関係ないことや否定的なことを言われたらどう感じますか?夫婦や親子の会話や、仕事上のコミュニケーションで思い当たる経験をしたことはありませんか?

あれがヤジではなく"妨害"ならそれこそが狙いなのでしょうが、果たして国会の場で"妨害"してよいものですか?

    

「ヤジは必要だ、国民の代表として反対の声があることを示さねばならない」的な論調もありましたが、反論はああいう場ではなく、きちんとした議論の場でやればいいことではないでしょうか?それでも人の話の途中ではなく、いったん話し終えたタイミングで自分の考えは違うと"会話"すればいい。

歌舞伎では、登場時や見せ場で観客が「成田屋!」とか「四代目!」とか掛け声をかける「大向う(おおむこう)」という習慣がありますが、演者と観客との一体感を生み出し舞台を盛り上げる効果にもなるといいます。

ヤジもそういう側面があるといった声もあるようですが、それは違うと思うのです。

盛り上がりを得るために「大向う」にも暗黙のマナーがあります。声をかけるタイミング、日本的に言えば「間(ま)」、芝居のわずかな間をうまく捉え、ほんの短い掛け声だからこそ良い効果が生まれるわけで、大事な節回しの最中にそんな無粋なことはしません。さらにその掛け方も、芝居の内容や状況にそって声色や発声を変えるそうで、「大向う」側にも配慮や技術が求められる、両者一体による芸術なのでしょう。

国会でのヤジに果たしてそういう側面があるでしょうか?

そして生産性の悪さ。

国会では長年、書記が速記によって発言内容を書き留めてきましたが、急激なITやAIの進歩により、速記ももうすでに不要になりつつあります。

私も会社の日常の会議でもAIが勝手に議事録をつくり要約もしてくれているのがすでに当たり前になっています。(聴覚に難のあるメンバーがいて、その人のためにも会話のリアルタイム文字起こしは必須なのです)

国会など政治の場でも、そろそろやり方を変えて生産性を上げるべきではないでしょうか。(ものすごく時給が高いひとたちなのですから)

大掛かりな会議システム機器などの設備投資をしなくても、国会の個々の机にタブレットスマホを備え付ければそれが可能になります。(もちろんセキュリティ的に端末やアプリやクラウド環境も国産等の配慮が必要ですが)

そうすれば、誰が何を言ったかが自動的に記録され、書記はそれを見ながらリアルタイムでAIの誤り部分を訂正していくだけでいい。ヤジだって自動的に記録されます笑。

国会答弁でも、議長に呼ばれた質問者と回答者が、いちいちマイクまで行って戻ってを繰り返すような時間の浪費はやめて、座席その場で発言すればよくないですか?せめて質疑の間はずっとマイクの前にいて、それもAIで自動で記録すれば済む。

チームみらいの党首、庵野さんが先日「国会にPCを持ち込むのは"品位がない"という理由で拒否された」と信じられないことを言っていました。品位!?

では国会中の居眠りやヤジは品位あるものなのでしょうか。

どうか高市政権にはそういった身近な変な習慣も打破していってほしいと願うのです。

国勢調査は必要だと思うけど、そろそろやり方変えないと

先日我が家にも国勢調査員が来ました。その時は留守にしていたので、帰宅後インターホンの録画を確認すると、首から何か証明書らしきものをぶら下げている若い男性が映っていました。

この時期調査が始まるのは知っていたし、ぼやけているものの録画の調査員証の色や右上のマークが国勢調査っぽい感じがしたので、おそらくそれだろうと思うものの、昨今の物騒な事件を頻繁に見聞きしている身としては、どうしても「本物か?」という疑念はぬぐいきれないのが正直な気持ちなのです。

真面目に働いている調査員の方々には本当に申し訳ないです。

でも「宅配でもなさそうな若い男性が訪問してくる図」は日頃あまりないので、詐欺や強盗などのニュースがちらっと頭の片隅をよぎってしまい、どうしても多少の警戒心を抱いてしまう。

本物の調査員の方々はきっと相当ご苦労されていることでしょう。こういった警戒心から疑われたりひどい言葉をかけられる人もいるという話もTVやネットで観ました。

我が家ではその後再訪問はなく、数日後、ポストに国勢調査票が入っていたので「やっぱりあれは正規の調査員だったのね」と思いつつ、最初からポストに入れる形ではだめなのかな?などと思いながらネットで回答を終えました。
    

私の親も若い頃国勢調査員をやったことがあると聞いたことがあります。その頃は各お宅をまわって聞き取り調査をしていたと言っていたような記憶が。

PCもネットもないし、普通の暮らしで詐欺などもまず聞いたことのない時代。調査員に対し皆素直に信じて素直に質問に回答してくれていたのだと思います。今考えれば平和な時代だからスムーズに行えていたことでしょう。

でももう時代は変わってしまった。こうなってくると、成りすましなど悪い輩を一掃撲滅するか、もっと別の方法を確立するしか手はないように思います。そして現実的なのは後者でしょう。(心から望むのは前者ですが)

こんな調査は必要ないとう意見もあるようですが、やはり必要な調査だと思います。

調査の質問内容から「この3か月間の実態」をおさえるのだなということがわかります。

住民票はそのままで、別の場所へ長期滞在していたりすでに引っ越していたり、また3カ月以上病院や介護施設にいる人も大勢います。そういう「今現実として」の実態は住民票でもマイナンバーでも把握できないからです。

行政による街づくりや防災、福祉などにそういうリアルな実態の把握が不可欠だし、民間でも商業サービスなどの基礎データにもなるので、リアルな数字を拾うことは重要なのだと思います。

ただ「調査方法はもう変えないと」とは思います。調査員が訪問して調査票を手渡す以外の方法を。

うちも留守だったのち何の通知もなくポストに入っていたわけで(もしかしたらルール違反?)それで通るなら直接ポストでもいいはず。ただ長期留守にしている人などには届かないからダメなんだろうなぁ。

複数に分散している行政データを集約するシステムの構築や、自ら現状を申請する仕掛けの検討とか…まあ言うのは簡単、実際には困難なのはわかっていますが、そろそろ本当に100年前からの人頼みのやり方からは脱却すべき時代がきていると思うのです。

レジが使えなくなった朝のお店で。イレギュラにどんどん弱くなっていく

会社の近くで総菜を売っている小さなお店があります。私も時々立ち寄り、その朝もランチ用にチョイスした総菜を手にレジに向かいました。

レジには私の前に一人、やはり通勤中の会社員とおぼしき若い女性がスマホを差し出していましたが、彼女は突然「え?じゃあPayPayで」と言いながらスマホを触り始めたのです。

私は「QR決済トラブルかな?楽天ペイか?d払いか?忙しい朝に使えないなんて困るなぁ」などと思いながらレジの様子を見ていました。

彼女と店員とのやり取りは何かかみ合わない様子で何やら手間取っています。その会話を聞いてわかったのは、なんと決済サービスではなくレジ自体がダウンしてしまったということだったのです。

店員は今は現金しか使えないと言うと、彼女は少し驚いたように「え、現金!? 現金?持ってない」とつぶやきます。

今レジを立ち上げ直していて復活に20分位かかると説明する店員。

それを聞いた女性は「じゃあもういいですっ!」と吐き捨てるように言い、手にしていた総菜をレジ台にバンと置いてプイと速足で立ち去ってしまいました。

その光景を見ていた私は、気持ちはわかるけどその女性の態度はちょっとな…と思いつつ、別のふたつのことを考えていました。

ひとつは「レジの再立ち上げって20分もかかるの!?

POSシステムって元々そういうものなのか?特殊なタイプなのか?PCやスマホの再起動しか知らない私は、"ダウンタイム20分"に衝撃を覚えていました。

そしてもうひとつは「現金を持ち歩かない若者がいるというのは本当なんだ」という事実への驚き。

朝の通勤時間帯、彼女はカバンや荷物を持っていました。スマホだけ持って買いに来たわけではないため本当に現金を一切持ち歩いていなかったわけです。

決済や通信サービストラブルはたまにあるし、スマホの不具合や震災時など、ネットがつながらないとか充電が切れるとか十分あり得るので(実際今回のようなこともあったわけだし)「やっぱり現金っていつもある程度は持っておかなきゃだめだよね」と改めて感じさせられました。

    
いきさつを見ていた私の順になり「じゃあ現金ですね?」と言うと、店員は申し訳なさそうに「すみません」を繰り返します。

最初QR決済しようとしていた私は「ポイントつかないなぁ」などとセコイことを考えながらも「じゃあこれで」と総菜3点と千円札を差し出しました。

お釣りをすぐに受け取るつもりで手を出しかけていましたが、でもそうはいかなかったのです。

今度は店員がひとつひとつ商品の価格を確かめながら不器用に電卓を打ち、でも首をかしげながら電卓を3回打ち直し、それでも済まずにもう一度商品の価格を確かめながら今度はメモ帳に3点の価格を書いて足し算し、それでやっと「850円です」。

その間に私の後ろには長い行列ができてしまっていました。

店員も商品の値段を覚えていないし、そろばんならぬ電卓も打ち慣れていない。何も考えなくてもピッピッで済むレジが使えないと、暗算でもわかる計算もここまで時間がかかってしまうのか。と、改めていろいろなことを考えさせられました。

そして釣銭150円を受け取った私も立ったままちょっと待ってしまって「あそうか、レシートも出ないんでしたね」「はい、すみません…」

便利が当たり前の世の中は、イレギュラにどんどん弱くなっていく怖さを感じた出来事でした。

加工した写真や動画ばかりになって・・・現実って何?

プリクラから始まり、今はスマホで簡単に自分の写真を加工しまくりSNSにアップするのが普通のこととなっています。

目だけ異様に大きくアゴを細く尖らせた加工をした若い女性の自撮り写真を見るたびに、「私はずいぶん年をとってしまった。"可愛い"の感覚が若者と全く異なってしまった…」とため息をつくのです。

若さへの嫉妬とかではなく、本当にどうしたって可愛く思えなくて。「だって変じゃん?別人っていうか宇宙人みたい。素の方がずっと可愛いのに」とか思ってしまうのです。

    

それからずいぶんとたちますが、

最近はAIの進化めざましく、高度な写真加工もスマホで簡単にできるようになりました。

風景から不要なモノを消すのは当たり前。位置や色を変えたり、そこにはないものを追加したり、絵を描くように現実とは異なるスナップを写真として残せるようになりました。

最近よく見るスマホのCMでは、いつも撮影ばかりで家族写真に入っていないお父さんがまるで一緒に写ってるように加工できたり、

亡くなった人の写真がAIによって自然に動いたり話したりもできるようになりました。

そんな懐かしさや慰めのAI技術だけでなく、商品の宣伝や詐欺に利用されるフェイク画像も今や目にしない日はありません。

こうなってくると"現実"って何だろうと最近ふと思うことがあります。

「思い出は美化される」と言われるように、昔の思い出は人の脳内で勝手に脚色されたりするようですが、でもそれはあくまでも、その人の脳内だけのものでした。

でも今は、現実とは似て非なるモノが写真や動画という形として残るのです。

写真とは"真実を写すもの"と書きます。それは果たして写真なのでしょうか?

未来の人が令和の写真や動画を見た時、それが本当のことなのか加工なのか、もうわかりません。フェイクによって歴史教科書に誤った情報が載ってしまうかもしれません。

この先虚構の世界があまりにも日常の当たり前になっていくと、自分でもリアルとフィクションの差がどんどんわからなくなってしまわないでしょうか?

つきつめていくと、目でみた風景は本当に現実なのか、そもそも現実とは何か?という哲学的な話になってしまいそうで、何だかそこはかとない恐れみたいなものすら感じてしまう。

この感覚、若いうちは感じないかもしれないです。

認知症とまではいかなくても、年取って徐々にもの忘れが増えてきたり、記憶があいまいになっていく感覚とどこか少し似てる面があって、

今見てる写真は現実だったのか?過去の記憶が書き換えられたのか?それとも勝手に作り出した世界なのか?そんな不確かなものが自分の脳内でせめぎ合って、ちょっとした不安にかられてしまうのです。

女性トイレ「待ち時間長い案件」でひそかに勘ぐってること

女性のトイレ問題は昔からいろいろありますが、「待ち時間が長い案件」は昔より一層問題になっているように思います。

この記事は「個室数を増やしましょう」ということだと思うのだけれど、もちろんそれは良いのですが、根本的にはひとりが長時間占有していることの方が問題で、その解決策にはならないなぁと感じています。

もう10数年前にもなるでしょうか、日本国内でもガラケーからスマホシフトが進んでいた頃、国内の大きなスポーツイベントでのこと。

今よりもさらに女性用の野外トイレの数は圧倒的に少なく、こういうイベントでは常に長蛇の列ができるのは当たり前でした。

そんな中、あるトイレの個室内から大きな声が聞こえてきました。当時はまだ、トイレ内で携帯電話で話す人がいる!などという経験がなかったので驚きました。まぁ日本では今もめったにいないと思いますが、トイレ内で携帯を使う行為自体にも驚いたのです。

それは中国語でしたので、ある意味カルチャーショックを受けた記憶があります。中国語はわかりませんが、別に緊急事態という感じでもなく普通のおしゃべりをずっとしてる感じで、待たされている行列側としては大変迷惑に感じたものです。

「女性のトイレは長い」と昔からよく言われますが、まあ男性とは排泄のメカニズムも異なりますし、脱着衣にも多少時間がかかるのは仕方のないことかと思います。

ただ、現在トイレにこもる時間が長い理由の最も大きな利用はそういったことではなく、恐らくスマホ等を利用しているためではないでしょうか。

排泄自体に時間がかかる場合もありますから、その時間にスマホをみだしてそのままつい、いう場合もあるでしょう。でももしかしたら最初からスマホ目的で長時間個室にこもる人も多いのかもしれません。

これは本当にやめていただきたいものです。

    
3年以上前になりますが、会社の女性トイレも全個室が埋まっていることが多く、これはスマホ利用しているのではないか?といったブログを書いたのですが、この状況は今も全く変わっていません。

今も変わらず、ドアの閉まったどの個室もなぜか"しーーーん"としているのです。

通常のトイレ目的であれば、トイレットペーパーをたくる音や、音姫、衣擦れのガサガサ音などそれなりの気配がするものですが、全ての個室が同様にずっと無音なのです。

会社のビル内ですから周囲の雑踏が聞こえたり音楽が流れているわけでもなく、元々静かなため一層この静けさに違和感を感じます。

なので、多分スマホを見たりいじったりしているんだろうな、と勘ぐっているわけです。

私のいるフロアは女性が大変多く、様々な部署が混在しているので全くなじみのない方が大勢います。少人数のオフィスならあまり長時間席をはずしていると目立つとか、トイレで同じ部門の人に会うとかで自制もきくでしょうが、ここは外部商業施設のトイレと同じような状況なので、あまり気にしていないのでしょう。

いつまでたってもしーんとしたまま一向に出てくる気配がないので、トイレ我慢して並んでいるこちらとしては、「待っている人がいる」ということを気づいてもらうため、あえて靴音をたてたり軽い咳をしたりしてアピールするのです。

すると不思議なことに複数の個室で急に何らかの音がし、水を流す音がしてひとりふたり、と出てくるのです。

これはやっぱりそういうことじゃない?

そして最近ある気づきから新たなひとつの仮設も加わりました。

午後3時半少し前にトイレに行くと、いつもこの「満員しーーん状態」なのです。別に待ってる人アピールしなくても3時半をすこし過ぎると水を流す音がして出てくる人が複数。

あー!これって「スマホで株取引」してるんじゃない? 後場終了時刻は15:30。

関東のひんやりスポット「大谷資料館」と「若山農場」に行ってきました

9月に入ってもまだ暑いですね。酷暑続きのこの夏は、TVで"涼しいスポット紹介"などでよく登場する栃木県宇都宮の「大谷資料館」に行ってみました。

大谷というと、今はつい「オオタニ」って読んじゃいますが、これは「オオヤ」です。

ここは、かつて大谷石(オオヤイシ)の採石が行われていた地下の採掘場跡を「大谷資料館」として一般公開しているものです。入館料は大人800円・子供400円です。

大谷石は火山灰などでできたやわらかい岩石で、加工しやすく火に強く長持ちがするので建築資材として石塀や石蔵などに使われてきたそうで、その石を採掘していた場所なのですね。今もこの付近には大谷石でできた塀や家が多く見られました。

大谷資料館の入り口からすぐ階段を下っていくと徐々にひんやりしていき、突然目の前に巨大な地下空間が広がる景観は圧巻です。まさに地下神殿ということばを思い出しました。

諸所でライトアップされているので、より神秘的に映えます。

深さ30~60mもあるそうで、広い空間を順路にそって、写真をとったりしながらゆっくり歩いて見学すると約1時間弱ぐらいでしょうか。

ただ、階段や段差が多いしエレベーターはないので、脚が悪いなど歩くのが困難な方には見学は難しいと思います。

途中、「これは手彫りの跡」「ここは機械彫り」といった説明や、ここで様々な映画やミュージックビデオを撮影した写真パネル(翔んで埼玉、るろうに剣心、キングダム、米津玄師「馬と鹿」など)などもありました。

年間通して平均気温8℃、夏は13℃位と事前に調べていたので、上に羽織るものを持って行きましたが、まあそこまで寒くはなく、涼しくて気持ちいいという感じで半袖のままで回れました。ただ外は猛暑でしたからそれで済んだかもしれません。もう少し涼しい季節に行かれる方は上着持って行った方がいいと思います。

見学を終え、涼しい地下空間から階段を上ると急に暑い空気が肌を覆い、地上に出ると眼鏡が曇りました。そうだ、外は真夏なのでした。

資料館のすぐ横にはカフェレストランやお土産屋さんもあって、多くの人で賑わっていました。お土産には大谷石でできたコースターやプランター他いろいろ売っています。

大谷資料館の近くには、採掘場跡に整備された大谷公園もあり、戦没者の慰霊と世界平和の祈念を目的に建てられた高さ27mの平和観音がそびえたっています。この観音様も圧巻ですので資料館と共にご覧になることをお勧めします。

次に、大谷資料館から車で15分程度の場所にある「若竹の杜 若山農場」にも行ってみました。

ここは100年以上筍と栗を中心に作り続けてきた、綺麗に管理された竹林農場です。入場料は大人750円・小中学生500円。

この写真のように、見渡す限りの広い竹林の中を自由に散策できます。竹にもいろいろな種類があって、エリアごとに違う竹を見比べられるので面白いです。

散策のための道が整備されていますが、竹藪の中に入ってもOKです。ただし蚊がいるので、虫よけスプレーをしていくことをお勧めします。(受付でも売っていました)

敷地内にはカフェレストランやお土産屋さんもあり、追加料金で竹器でお抹茶をいただくこともできます。また夏場の土日祝の夜にはライトアップもされるそうで、ちょっと見てみたかったです。きっと幻想的なことでしょうね。

竹で空は覆われかすかな木漏れ日程度の日陰で、静かで爽やかな空気の中をゆっくり歩くなんて、なかなかできない貴重な体験でした。

ここも、キングダム、るろうに剣心パリピ孔明梅ちゃん先生他、様々な映画やCMのロケで使われているそうですので、大谷資料館と共に聖地巡礼もできそうですね。

宇都宮駅前ではもちろん宇都宮餃子を食し、満喫した夏の小旅行でした。

 

人を襲う熊を「殺すな」とクレーム電話入れる人たち

最近毎日のように熊が人里に現れ、食べ物が荒らされたり人間が襲われたりしているニュースを耳にします。

人が山深く入り込んで熊と遭遇するというのは可能性としてはあり得るかもしれないけれど、昨今は普通の民家や通学路、学校、商業施設など市街地に出てきて、人を怖がる様子もなく悠然と歩き回っている。

もし突然、近所で熊に遭遇した瞬間こちらに全力で向かってきたらもう、走っても木に登っても逃げ切れないし(熊は泳ぐこともできる)、力でかなうはずもなく、熊の方があきらめてくれることだけを祈ることしかできないでしょう。想像するだけで怖い。

付近の住民の方々はどれだけ怖いことでしょう。子供たちを通学や外遊びさせるのも不安でしょう。

    

でも「熊を駆除するなんて可哀想だ」「自然を壊した人間がいけないんだ」「殺さず山へ返せ」と、安全な場所からクレーム電話かける人が大勢いるといいます。あるひとつの自治体でも1,500件位電話がかかってきたそうです。

確かに自然破壊なども遠因のひとつなのかもしれません。だからといって、電話で「税金泥棒」「役場を辞めろ、クマと一緒に死ね」そんなことを言われたり、ひとり1時間以上にわたり延々と苦情を聞かされたり、そんな相手をしなければならない自治体職員が気の毒です。

「こうすれば効率的に低予算で解決できる」的な前向きな提案の電話ならWelcomeかもしれませんが、単なる鬱憤晴らしみたいな人たちも大勢いて、その対応に時間を奪われ、やらねばならない通常業務がとまってしまう。

そのクレーマーたちは、例えば突然自宅に出没して自分や家族を襲ってきても同じことを言うのでしょうか?自然破壊した人間がいけないのだから自分や家族も熊に襲われ食われても仕方ないと本気で思っているのでしょうか。

クレーム電話を入れるのは主に熊のいない都市部の人間だと言います。自分たちに関係ないと思っているからこそ平気でそんなことを言えるのです。

例えばそれが都市部でもあり得る、蛇や、蜘蛛・マダニなど刺されたら死んでしまうような生き物だったとしても同じように「殺すなんて可哀想だ!」と役所にクレーム電話を入れるでしょうか?

あ、クレーム電話は入れるか。でも全く逆なこと言うんじゃない?「なぜもっとこうなる前にちゃんと殺虫剤撒いておかなかったんだ」「藪とか刈っておくのが役所の仕事だろう」(←環境破壊じゃないんかい!)とかね。

子供の頃からぬいぐるみなどで親しんできたテディベア。熊の親子の映像とか見て、あんな可愛い小熊を殺すなんて!ただそんな感覚でクレーム入れているような気がして仕方ありません。環境破壊云々はクレームする自分を正当化する理由付けのように感じてしまうのです。

でなけでば、熊はよくて蛇や蜘蛛はダメなんて理論、筋が通りません。

私だって親子ぐまの映像を見れば可愛いと思います。でも実際に目の前に現れ襲われ殺されるかもしれない熊を「可愛いから殺すな」なんて思えるはずがありません。

もしも、殺さずに山に返せば二度と人里に降りてこないのであればその努力も実るでしょう。今までもそうやってきたそうです。でももうそういう段階ではなく、閾値は超えてしまっているように思います。

百匹目の猿現象をふと思い出しました。

ある猿がイモの泥を海水で洗って食べたところ美味しいことに気づき、同じ行動をとる猿が増えていき、ある閾値(仮に100匹とした)を超えるとその行動は一気に広がり、それは接触のない遠方の仲間にもなぜか伝播する。という現象のことですが(作り話だという話もありますが)

熊が人里に現れる現象が、異なる地域にわたってやけに増えてきたような気がして、百匹目の猿ならぬ百匹目の熊現象にならないことを願うばかりです。

楽しみにしてた「予定」が近づくとなぜか急に面倒になる現象

旅行や友人との約束など、楽しみに感じるはずの予定。しかし、予定の日が近づいてくると「急におっくうになってきた」という経験はありませんか?


という記事を読んで、なんか共感・納得してしまいました。

気が進まないことや嫌なことの予定なら面倒に思うのは当たり前ですが、行くのを楽しみにしていた予定、好きで自分で予約したイベントや旅行、久しぶりに会う友達との楽しみな約束…そういったことさえも、数日前位になると急におっくうに思えてくる、この謎の現象。

下手すると「今更だけど予定キャンセルしようか」「でもなんて言い訳しようか」とまで考えたりして、でもそんなこと考えるのも面倒くさくなって。なんかますます全て億劫になってくる…なにこれ。

    
まずい、これは年取って気持ちも老いたせいかもしれない。などと、ちょっと気になっていたのです。

でもこの記事読んで、実はこういう人、それも若い人にも大勢いるということがわかって正直少しほっとしてしまいました。

記事によると、先の予定を立てるとそこから逆算して準備や段取りが必要になり、「楽しみ」が「タスク」にすり替わってしまうため面倒に思えてくる。ということらしいのです。

楽しいか否かは別として、何かの「予定」が自分の中で「仕事(タスク)」のようになってしまって、無意識にストレスを感じるためなのかもしれません。

自分ではあまりそのような意識はなかったのですが、実はそういった心理が生じているのでしょうか。

よく思い出してみれば、若い頃からこういう傾向があった気もします。ただ年齢を重ねてよりそういう傾向が強くなってきたようにも思うのですが…。やはり老化も関係しているのかなぁ。

でも、おっくうに感じていた予定もドタキャンなどできるはずもなく、当日行ってみればそれは楽しくて「あー、来てよかった!」などと思うのです。

だって好きで自ら計画した予定なのですからね。だからまた同じような楽しい予定を入れるわけですが・・・結局同じ繰り返し。

ほんと自分でも面倒くさいやつです。

他人の頭の中の独り言を解読できるようになってきた。SFみたい。

声に出さない頭の中の独り言を解読することに成功したという記事を読みました。


すごくないですか!?昔から映画やアニメで見てきたSFの世界です。

これは多分、本を黙読してる時のように頭の中で独りごとを言っているような状態を、AIを使って解読するというものだと思いますが、今回の研究は話すことができない障害を持った方などを想定してのものです。

でも技術的には誰にでもできそうです。現実としてこういうことが可能になってきている事実に驚きました。

以前、人の頭の中で考えていることがわかったらどんなだろう?と何度か想像したことがありました。

    
人って何も考えていないような時でも無意識でも常に何か考えている。

家の中でも掃除機かけたりアイロンがけの時など、私はずっと何か関係ないことを思い出したり考えたりしていると思います。

電車内や歩いている時も、その時目に映ったものに対して、もしくは自分の心の内側で、いろいろな思考が目まぐるしく浮かんでは消え…と、無意識ながら絶え間なく脳内で何かを思っているものだと思うのです。

例えば、通勤時つり革につかまりながら窓の外を見てる時、

あーいい天気、まぶしいな。これって眼に良くないんじゃないかな、紫外線で白内障とか怖いな。目つぶってた方がいいのかな。サングラス持ってくればよかった。あ、サングラスもっとちゃんとしたの買わないと、今のは古いしな、この前CMでやってたレンズが薄い色のやつ、今度眼鏡店に行ってみようか、でも高そうだしなぁ(そのサングラスのTVCMの俳優××の顔が浮かび)今度の××のドラマって面白いかな?この前のはあまり…あれ?あんな所にあんな建物あったっけ?何だ?屋根の上に何かある、何で今まで気づかなかった?十字架?教会?いや、なんかのオブジェかな、そういやこの前の川沿いの店の上にもオブジェがあったな、それって動物だったような、いや鳥か?灰色っぽかったから、(車内放送)あ、駅につく、今どこだっけ?あそうか××だ。ここからいっぱい乗ってくるんだよな、嫌だなー(ドヤドヤ乗ってくる)ちょっと、押さないでよ!反対側にスペースあるじゃん、なんで私の真横にねじ込んでくるわけ?カバンあたってるし、もーまったくむかつく!あー、目の前の座ってる子早く降りないかな、何ずっと鏡見て前髪整えてんのよ。そんなにしたって数歩歩いたら乱れるんだから無駄だよ。でも若いから毛量多くてつやつやでいいなー、私も昔はもっと髪が、あ!今日の午後の打ち合わせ資料を朝一でやんなきゃ。面倒だな・・・とか、延々続く。

この間ほんの2~3分程度でしょうね。(全部ちゃんと読んだ人ご苦労さまです笑)

でもそんなわずかな時間の中で、今・ちょっと前・昔・ちょっと未来、と時空を超えて行ったりきたり。なんか思考ってすごいですね。

他人が人の頭の中を読み取れるとしても、こんなんじゃ読む側の方が疲れるし別に得るものもないでしょう。

でもたとえば、異性を見てよからぬ想像をしていたり、顔やスタイルや年齢や服装への侮蔑(自分に向けてならなおさら)や、嫌悪憎悪みたいな負の感情や思考をしている他人の頭の中なんて逆に知りたくないし読みたくもない。

人って他人が何を考えているかわからないからこそ心が平和でいられるのだと思うのです。それがわかってしまったら普通に暮らしていけなくなるのではないでしょうか。

ただこの研究チームは、四六時中心の中を読み取られたくはない利用者のために、パスワード式の制御機能も搭載していて、決まった特定の言葉(いわばパスワードですね)を頭の中で思い浮かべたときだけ解読を許可する仕組みなんだそうです。

それだったらテレパシーで通じ合いたい時だけパスワード解除すればいいので便利そう。やっぱりSFの世界が近づいてきました。

企業メルカリにちょっと腹立ってます。マクドナルドにも。

以前メルカリに、あるコミック全20数巻セットを出品しました。

これはすでに他界している親が買ったらしい歴史漫画で、私はその存在を知らなかったのですが実家で見つけ、本屋のカバーがついたまま箱にしまわれていて新品同様だったので、中を軽く確認してそのまま出品したのです。

私は読まないけれど捨てるのはしのびないので結構安く出したのですが、それでも値下げ要求がきました。

メルカリの機能に、以前はなかった「値下げ依頼ボタン」がいつの間にかできていて、簡単に値下げを要求できるようになっているのも少し不満です。

メルカリでは送料を出品者持ちにしないとなかなか売れない実態があるので、商売ではなく普通に不用品を売る私のような出品者は手数料と送料を引くとほとんど利益は出ません。それらを見越して逆に高い価格をつけるとそもそも買い手がつきませんから、ぎりぎり損をしない程度の価格で出しているのです。

でもこの「値下げ依頼ボタン」のせいか、気軽に理不尽な価格で値下げ要求されることが増えました。

もちろんこちらも拒否はできるのですが、いちいち断ること自体が結構ストレスですし、依頼者は買わずに去ってしまいます。

取引を長引かせたくないので、今回は仕方なくその値下げ要求を受け入れ、価格を変更して先方の購入まで確定しました。そして送る準備をしていた時です。

最後の確認として何か挟まってないか漫画をパラパラめくっていた時に、何も書いていない少し厚い1ページ目の裏になんと購入日や印鑑が押してあるのを見つけたのです!

もう「あちゃーーっ!!」て感じですよ。それも数巻同じような状況でした。

親世代(うちの親だけ?)は何にでも名前を書くんですね。以前、白物家電にも油性マジックで書いてあったのを思い出し、確認のわきが甘かったことを反省しました。

今回は普通はめくらないような目立たない場所なので気づかなかったのです。漫画自体には何の影響もありませんが、このことを出品の際の注意事項として書いていなかったので、すでに購入された方にコメントで正直に伝え、幸いにもまだ送る前だったので、購入キャンセルいただいても結構ですがどうされますかと聞くと、あっさりキャンセルするとのことでしたので、そのままキャンセルしました。

悪いことしたなと思いつつ、でもちょっとだけ「これ漫画を読みたかったわけではなく転売目的だったからすぐキャンセルなのかな…」とかチラッと思ったりもして、とにかくその売買は終了しました。

    
ところがです!そのすぐ後にメルカリ事務局から、

この取引は迷惑行為としてペナルティの対象となる可能性があり、特に出品者都合による一方的なキャンセルは、利用制限や強制退会につながることもあるといったような内容の忠告メッセージが届きました。

利用規約ではそうなのかもしれませんが、取引メッセージのやりとりを見てもらえればわかることです。双方合意のキャンセルであり、私も決して故意でも何でもありません。

私の不注意が悪いと言われれば仕方ないですが、そのまましれっと送ってたらどうなったのでしょう。きっとトラブルを招いたはずです。

その時いろいろ頭をよぎったのは、昨今メルカリでは詐欺まがいの出品が相次いでいて、被害者が訴えてもメルカリ事務局は取りあってくれず、SNSに投稿したら結構な騒ぎになってやっと重い腰を上げた、といった一連のことです。

詐欺まがいの出品者が一番悪いのですが、それらと同列に扱われた感が何とも腹立たしく思えてしまって。

そして最近よく感じるのは、メルカリは儲けのために一般個人はもう相手にしてないんだなという残念な気持ち。フリマアプリは元々一般個人が自分の不用品を売るために始まったもの。でも昨今はメルカリShopという商売そのものや、個人でも安く仕入れて高く売る副業のような人の方ばかりを向いていることがひしひし伝わってきます。

そして!マクドナルドのハッピーセットの転売騒ぎですよ。

前回のハッピーセットの時もYahoo!楽天ラクマは転売対策を講じてたのにメルカリは手をこまねいて、結果尋常じゃない数と価格の出品が並んでいました。その時の非難をふまえてか今回は対策する旨事前に発表したものの、今見てみれば全くそんなの絵に描いた餅、ごっそり転売品が並んでいます。

私の不注意な少額取引にはすぐにあんな忠告するのに、本当の詐欺とか非常識な転売には何もしないのか!(してたとしても実態として全く解決していない)と怒りが再燃してしまいます。自分を棚に上げて申し訳ないとは思うのですが拭いきれない気持ち。

マクドナルド社にも腹がたっています。元々こうなることはわかっていたのに。なんだか確信犯としか感じられない。

企業としては利益のために仕方ないのかもしれませんが、実際に頻繁に利用しているユーザーであり消費者であるからこそ残念に思う気持ちをこれ以上裏切らないでほしいと思うのは、もっと大金を積んでから言えという話なんでしょうかね・・・

AIを日常のパートナーとして過ごすサービス

昨今、ロマンス詐欺に騙されて大金を失うニュースをわりとよく見かけます。

三者として客観的に見ていると、なぜそんなのにひっかかるの?なぜお金の話が出てきた時に気づかないの?と思うのですが、でもこういう詐欺は手が混んでいて、時間をかけ人間の心を巧妙に操る高度な心理テクニックを駆使したものなのでしょう。

少し前に世間を賑わせた「頂き女子りりちゃん」のおじ攻略マニュアルでしたっけ? あれ、まっとうなビジネスとしてあの技術を駆使すればかなりの成功を収められたのではないか?と思うほどの出来栄えです(TV番組で観たレベルで言ってるだけですが) 。

もしかしたらロマンス詐欺にあった被害者本人も心のどこかで怪しいと思いながらも、信じたい気持ちが勝ってつい騙されてしまうのかもしれません。 

今のAIの進化のすさまじいスピードを見ていると、これを詐欺ではなく良い方向で利用するサービスが近いうちに必ず出てくると思います。 

ほんの1~2年レベルでそういった正規のサブスクサービスが登場するのではないかと思うのです。(もしかしたらすでにあるかも?)Amasonあたりがやりそうな…

    

AIによる画像生成の進化は目覚ましく、あまりにもリアルで人間としか思えないレベルにまですでにきています。

そのサブスクサービスでは相手(AI)のビジュアルや性格を自由に選べます。 

自分の好みの顔や性別、年齢、髪型、ファッション、性格の傾向などが選べるようになっていて、その架空の人間を日常のパートナーとして過ごせるサービスです。

将来的にはリアルな動くロボットが相手になる時代もくるかもしれませんが、近々ではバーチャル空間でのAIパートナーから始まるでしょう。

相手はAIなので、あるがままの自分を受け入れてくれるし、いつでもいくらでも話し相手になってくれます。決して詐欺で騙したりお金を奪ったりはしません(毎月のサブスク料金の範囲内です笑)。

その相手は決して恋人や夫婦とは限りません。同性の友達や、勤務先の同僚、親兄弟や子供、孫など、そういった様々な人を設定して、架空でありながら複数のコミュニケーションもとっていけるのです。(基本サービスは1名で追加料金で人数を増やせる)

今、リアルのコミュニケーションが嫌だったり苦手な若者が増えているそうですね。Chat-GPTの利用方法として最も多いのは悩み相談とか話し相手だといいますから(特に10~20代) すでにAIは人にとってかわりつつあるのかもしれません。

確かに生身の人間だと気をつかうし、嫌な思いをしたり、別れがあったり、楽しいことばかりではありません。でも本来は、そういった悲喜こもごもの様々な経験を積んでいくことこそが大事なのだとは思います。が、それで病んだり命を絶つぐらいならそういうサービスに救いを求めてもいいのではないでしょうか。

また年を重ね、先に逝ってしまったり会えなくなったり疎遠になってしまった大事な人、友達ももういない、そういったシニアの喪失感や寂しさをAIが埋められるに違いありません。AI相手にコミュニケーションをとることで認知機能にも良い影響があると思います。

AIですから話し相手だけではなく様々な生活サポートもしてくれるでしょうから、高齢者だけでなく体が動かせなかったり外出できない人にとっても救いになるかもしれない。

きっと近い将来、そんなサービスを利用するのが当たり前の世の中になることでしょう。

小心者の私は4人席に一人で座っていられる勇気がありません

休日のショッピングセンターのフードコートは激混みです。平日も食事時は人でごった返し、空いている席がほとんどありません。

ひとりで席を探している時、たまたま空いたのが4人掛けテーブル席だった場合、私は一瞬躊躇してしまいます。

小心者の私はその広い席に一人でずっと座っていられる勇気がないのです。

もし2人席を2つ並べていた場合は自分でテーブルを分離させて座ります。そうすればあと一人か二人組は座ることができます。案の定、そうした時はすぐに別の人が来て座るのでよかったと思えるのですが、

分離ができない時は仕方なく座るものの、混んでいる中で4人分を一人で占領していることは自分にとって居心地が悪いのです。

そこで注文した食事をしているのだから別にルール違反でも何でもないのですが、私自身がリラックスできないのでさっさと食事を終えて席を立ってしまいます。

    

でも世の中そんな小心者は少ないのでしょう。

食事がとっくに済んでいても延々と話し込んでいるグループ、飲み物一杯だけで勉強したりゲームに興じている学生たち、机いっぱいに資料を広げ保険の説明みたいなことをしている人たちは飲み物は客の前にだけしかない(経費節減?)。挙句にはそこのものではない弁当を持ち込んで食べている夫婦、などなど。

どんなに混んでいても、お盆を持って空席を探している家族連れにすぐ横をうろうろされても何とも思わないのでしょう。 

各席に電源を用意しているカフェではなく、商業施設のフードコートです。各席にはそういうことはご遠慮願いますといった注意の張り紙がしてあるのですがお構いなし。そしてフードコート側も実際に注意するわけではないので誰も気にも留めていません。

そんな状況ですから、自分が食事をしたい時に全く空いてなくて困ることも多々あるわけです。4人掛け席にひとりで座って食べ終わっているのに本を読んだりのんびりしている人を見るとイラっとしてしまいます。(だからこそ自分がひとりで座らねばならない時には居心地が悪いわけで)

どこにも空席がなければ結局そこはあきらめて他にいきますから、お店や商業施設にとっては機会損失です。

フードコートも駐車場精算システムみたいなものを導入すればいいのに。

そのフードコートでの飲食レシート合計でいくら以上で〇時間無料、過ぎたら超過料金を取るシステム。混む時間帯はその無料時間を短くするのです。

システム導入コストはかかりますが、長居する人にはその分きちんと飲食してもらえるし、しなくても入金はあり、また食べようと思って来た人が他所に行ってしまう機会損失も減るので、施設全体で長期的にみればメリットの方が大きいように思うのですがどうでしょう? 

シェアオフィスのように、毎日来るような人のためのサブスク型、席の大きさ(スペース)で変わる料金体系があってもいいかも。

そしたら小心者でも堂々とゆっくり食事を楽しめるのにな。