意識の力。咳をしてはダメ、だから咳をする
クラシックコンサートでは、楽章と楽章の間のわずかな時間に、会場中から一斉にゴホゴホと咳払いがおこる。
異様なまでの咳の多さに少し違和感を感じるほどだ。でも咳払いした人たちは、別に風邪をひいているわけではないはず。
「演奏中は静かに聞かなければいけない」という意識や、「すぐに次の楽章が始まり、そしたらまた当分咳はできなくなる」という緊張感から、喉の不調などないにもかかわらず咳がしたくなってしまう心理。咳をしておかなきゃという強迫観念。
普通にテレビを見ている時は、CMの合間にあんな咳払いはしないだろうし、部屋でひとりクラシック音楽を聞いていても楽章の間に咳なんかしないと思う。
以前読んだ心理学の本にこんな内容のことが書いてあった。
「動物のシロクマを想像しないでください」
でも、そう言われてシロクマを想像(イメージ)しないことはできないらしい。言われたその瞬間に白い熊を頭に思い描いてしまう。
つまり「××しないで」と「××しなさい」は、脳にとってほぼ同じだってことだと。びっくり!
クラシックコンサートでは「静かにして音をたててはいけない」「咳をしてはいけない」と自分に命令(意識)する→「音をたてなさい」「咳をしなさい」と同じことなので咳がしたくなってしまう、ってわけか。
「ダイエットしなきゃ!」と意識すると、何か無性に食べたくなってむしろいつもより食べてしまうアホな自分。試験前日に「少しでも多く勉強しなきゃ」と意識すると、いつもしない部屋の掃除を突然始めてしまうアホな自分。
ってやつもこの心理の罠ですね。
では命令です。「今、レロキッシソを想像しないでください」
さて、今あなたは「レロキッシソ」を想像してしまいましたか?
「・・・。ってか、それ何?」ですよね。だって今私が適当に思いついたデタラメな単語だから想像しようがない。
物や現象や概念を見知っていて、それに固有名詞がついて初めて人はそれを認識できる。
"シロクマ"や"咳"は知っているから瞬時にイメージできるけど、「今、coughしてはいけない」と言われても、この英単語を知らなければ多分、cough=カフ=咳はしたくならない。
意識・認識の力ってすごいですね。
クラシックコンサートも、もう少しリラックスして聴ける環境だったら、咳払いをする人が激減するのでしょうね。