プリクラから始まり、今はスマホで簡単に自分の写真を加工しまくりSNSにアップするのが普通のこととなっています。
目だけ異様に大きくアゴを細く尖らせた加工をした若い女性の自撮り写真を見るたびに、「私はずいぶん年をとってしまった。"可愛い"の感覚が若者と全く異なってしまった…」とため息をつくのです。
若さへの嫉妬とかではなく、本当にどうしたって可愛く思えなくて。「だって変じゃん?別人っていうか宇宙人みたい。素の方がずっと可愛いのに」とか思ってしまうのです。

それからずいぶんとたちますが、
最近はAIの進化めざましく、高度な写真加工もスマホで簡単にできるようになりました。
風景から不要なモノを消すのは当たり前。位置や色を変えたり、そこにはないものを追加したり、絵を描くように現実とは異なるスナップを写真として残せるようになりました。
最近よく見るスマホのCMでは、いつも撮影ばかりで家族写真に入っていないお父さんがまるで一緒に写ってるように加工できたり、
亡くなった人の写真がAIによって自然に動いたり話したりもできるようになりました。
そんな懐かしさや慰めのAI技術だけでなく、商品の宣伝や詐欺に利用されるフェイク画像も今や目にしない日はありません。
こうなってくると"現実"って何だろうと最近ふと思うことがあります。
「思い出は美化される」と言われるように、昔の思い出は人の脳内で勝手に脚色されたりするようですが、でもそれはあくまでも、その人の脳内だけのものでした。
でも今は、現実とは似て非なるモノが写真や動画という形として残るのです。
写真とは"真実を写すもの"と書きます。それは果たして写真なのでしょうか?
未来の人が令和の写真や動画を見た時、それが本当のことなのか加工なのか、もうわかりません。フェイクによって歴史教科書に誤った情報が載ってしまうかもしれません。
この先虚構の世界があまりにも日常の当たり前になっていくと、自分でもリアルとフィクションの差がどんどんわからなくなってしまわないでしょうか?
つきつめていくと、目でみた風景は本当に現実なのか、そもそも現実とは何か?という哲学的な話になってしまいそうで、何だかそこはかとない恐れみたいなものすら感じてしまう。
この感覚、若いうちは感じないかもしれないです。
認知症とまではいかなくても、年取って徐々にもの忘れが増えてきたり、記憶があいまいになっていく感覚とどこか少し似てる面があって、
今見てる写真は現実だったのか?過去の記憶が書き換えられたのか?それとも勝手に作り出した世界なのか?そんな不確かなものが自分の脳内でせめぎ合って、ちょっとした不安にかられてしまうのです。