カバンの奥底にあった手動式携帯充電器に救われた日
今週のお題「カバンの中身」
電車通勤の移動中に何かあったら身動きが取れなくなります。そんな"もしもの時"のためにいくつか防災グッズを常に通勤カバンに入れています。これは2011年3月11日に身に染みた経験があったからです。
【目次】
東日本大震災の日、ひとり出先で
その日、15時に仕事のアポがあり初めての場所に向かっている時に東日本大震災に遭遇しました。
震源地の東北とは比べ物にならないとはいえ、首都圏も震度5強とかなり大きく長く揺れ、その後は皆知っての通りです。
アポの相手には結局会えずじまいで、私は「今夜はもう電車は動かず帰れないだろう、大混乱でむしろ動かない方が安全だろう」との直観で、最初からどこか近くで一晩過ごせる所はないか探し始めました。
当時はまだスマホというものがなくガラケーの時代です。通話はすでに一切どこにもつながらなくなっており、LINEのようなツールもまだありません(LINE誕生のきっかけが東日本大震災ですからね)。
そのため何がどうなっているのか状況もわからず、知っている人もなく、ひとりで心細く不安でした。
その時、カバンの奥底に入れてあった手動式のアナログな携帯充電器が唯一の心の拠り所になったのです。
カバンの奥底にあった携帯充電器
「そんなもん持ち歩いてるの?」当時は友達から笑われていました。私も真剣に考えてというより、何か便利そうなものをもらったので何かの役に立つかな程度の気持ちでカバンに入れてそのままになってたと言った方が正しいかもしれません。
それを本当に使うことになるとは思ってもいませんでした。
夜になり、この先どうなるのかわからない中で独りという状況で、携帯の充電が切れてしまうことが一番の恐怖でした。
一晩過ごした場所にはコンセントはほとんどなく、そのわずかなコンセントをめぐり大勢の帰宅難民による争奪戦がおきていましたが、私の手元には充電器がある。これがどれだけ安心感をもたらしたか。
私は充電器の取っ手をぐるぐる回し続けました。摩擦で結構重くて回すのは疲れます。それでもジージーと音をさせながらひたすら巻き続けました。安物だからか10分位回してやっと1~2%程度充電ができるか否か程度しか発電しません。
それでも黙々と回し続ける行為自体が、頻繁に大きな余震が起こる中でも心を落ち着かせてくれていたような気がします。
明け方に電車が再開、のろのろと帰路に着きもうすぐ家だという頃、届かずに溜まっていた家族や友達からの着信履歴やメールが一気にまとまって届きました。少しぐっときて「遅いよ」とつぶやきながら、皆無事でいられたことに心の中で感謝していました。
そして今、カバンの中に
そんな経験を経て今、充電器は蓄電池に変わりましたが、他にもプロテインバーや100均の携帯トイレやアルミシート(寒さ対策や目隠しになる)、サインペン、10円玉(震災時公衆電話はそれしか使えない)他、そういったものを通勤用カバンに入れています。
地震も電車内の想定外の事件や事故も、"いつ何時"の可能性は残念ながら一層高まっているかもしれない今、どこまで役立つかわからなくても持っていること自体で安心を得ているのかもしれません。
(ご参考↓)