R55女性あるある

R55世代(50~60代)女性の、心身や環境の変化・長年の仕事での経験・主婦目線での生活など綴るブログ

テレワークを禁止にした企業の考え方2。悪魔の証明

以前会社で、ある社員の怠慢とミスで大きなトラブルが起こったことがありました。社内はもちろん取引先にも迷惑をかける騒ぎとなり、他部門の社員も動員され2か月位かけてその対処にあたりました。

【目次】

期末に表彰されたのは・・・

トラブルの火消しにあたった人達は毎日大変な苦労を強いられましたが、大勢の努力のおかげで無事沈静化でき、取引先からもその対応と誠意に感謝を示され、以前よりむしろ取引を増やしていただき結果オーライとなりました。

毎期末、顕著な業績をあげたり貢献をした人が表彰されるのですが、この期末に表彰されたのはなんと、そのトラブルを引き起こした張本人を含む火消しをした人達でした。

その時の責任者は張本人の上司でしたが、彼はその苦労を評価され上のポジションに出世しました。私はその期末表彰を遠くで眺めながら大きな違和感を感じていました。
    
その2カ月間の大勢の社員の労働工数経費換算すれば相当な金額に相当します。本来しなくてよかったはずの工数です。その間、火消し隊の本来業務は止まっていたのです。

私の部からも数人応援に駆り出され、その穴を埋めるため我々の業務負担も増えた、そういった表面上見えづらい工数も多々ありました。

もちろんトラブル対処は大変だったことでしょう。でもそれで全社表彰?出世? 何か釈然としない気持ちでいっぱいでした。

感謝されても評価はされない

一方で、何もトラブルや事故をおこさないよう様々なことに気を配り、不安要素があれば全て事前に手を打ち、毎日地道に業務を行っている部門があります。

でもこういう部門や社員は高く評価されることはほとんどありません。何か顕著な変化でも打ち出さない限り"同じことを続けているだけ"と見られ、逆に評価を下げられることすらあります。

彼ら・彼女らも別に評価が欲しくてやっているわけではなく、責任感や達成感で自ら動いてのことなのですが、でもそれで低評価をつけられたらやはり悔しいはずです。

そういったコツコツ型の社員は、水面下での努力を大げさにアピールなどせずに粛々と業務を行うタイプが多いこともあり、会社はなかなかそこに気づけません。口で感謝することはあっても本心では(人事的な)評価はしていないのです。

(これって何だか毎日の家事や育児にもつながるような気がしますね)

何か事が起きそれを解決する努力は目立ちます。上司や役員なども巻き込むので騒ぎも大きくなり、共に汗をかきながら問題解決にあたるので、何だか戦友のような絆みたいなものも生まれ、大きな仕事したような気にもなるでしょう。

でも会社にとって本当の利益のためには、最初からそんな事が起きないようにする方がよほど重要だと思うのですが、その評価を得るには、その努力により何も起こらなかったことを証明しなければならない、まるで"悪魔の証明"を求めるようなものです。

「おーいお茶」を求めるお父さん

長いこと企業内を見てきて、評価する側の多くは(全員とは言いませんが)、そのような会社にとっての本質的な利益よりも、内心は自分の隣で苦労して汗をかくこと自体に価値を見出す傾向があるように感じていました。

上司が「おい誰か」といった時すぐ横で「はい何ですか?」と言って動いてくれる部下を求めているのではないか?まるで昭和のお父さんが「おーい」といえば暖かいお茶がさっと出てくる奥さんを求めているように。

そういうのを"コミュニケーション"と言っているように感じてならなかったのです。だからテレワークは「コミュニケーション不足になる、対面が一番だ」といってやめてしまったのではないか、と。

私は昨日今日入社した若手社員ではありません。長年管理職として上司の立場も経験してきました。その私が広く社内と多くの管理職を見て、そんなことを感じてしまうのです。

そんな大企業は果たして、これからも生き残っていけるのでしょうか。