日本語の自分の呼び方の多さに改めて驚く
ふと「日本語の一人称って何だかいろいろあるなぁ」と思って、ちょっと思い出して書いてみました。普段意識していませんが改めて考えると「なぜこんなに?」と驚いてしまいます。
【目次】
日本語には自分の呼び方がこんなにある
わたし、わたくし、あたし、あたくし、あっし、あたい、わちき、わい、われ、わし、おれ、ぼく、おら、おいら、うち、じぶん、わがはい、わらわ、それがし、当方、てまえ、ミー、せっしゃ、よ、まろ、自分の名前、相手との関係(お父さん/ママ/じい/先生など)
自分のことを指す日本語は、ちょっと挙げてみただけでもこんなにあります。
でも皆、これほど様々な呼び方を瞬時に理解しています。それってよく考えてみるとすごいことだと思いませんか?
呼び方によってはそれだけで、その人の性別や立場などを示しているものもあったり、大昔のことばたとえば「拙者」「麻呂」「余」「わちき」なども、時代劇や歴史物などを通してそれが"自分を指していること"そして"どのような身分か"ということまで私たちは知っているのです。
また現実的に使わないことばでも、漫画やアニメの登場人物が使っているため身近に感じるものもあります。
英語だと自分を表す言葉は老若男女区別なく「 I 」のみです。外国の方が日本語を覚える時に悩んでしまうというのがよくわかりますね。
自分の名前で自分を呼ぶ大人
日本独特なのは自分を指すのに自分の名前を一人称で使う場合。「A子がね」「Bちゃんは」みたいに自分の名を呼ぶ人がいます。
自分と他人の違いを客観視できない小さな子供は、親や周りの大人が自分のことをそう呼ぶのをそのまま真似して「Aちゃんはね」のように言うことがありますが、成長すれば自然に変わっていきます。
でもたまに大人になってもそのままという人がいて、これは海外ではあまりないことのようです。自分を名前で呼ぶ人は"幼い=可愛い(と思われたい)"という図式を狙っているように感じます。だから女性に多いのかもしれません。
20代の女性が家族以外の第三者に対して「A子はー」とか言っていたら、私だったら正直ゲンナリで引きますね。
今やっているドラマ「悪女(わる)」では主人公の田中まりりんが自分のことを「田中」と苗字で呼んでいますが、これは可愛さの追求ではなく「自分は××であります」的な体育会系のノリのような印象ですね。
相手の立場からみた自分
「ママ(お母さん)はお買い物に行くからね」「先生は君たちを応援しているよ」など、相手から見た場合の"自分の役割"を自分の呼び方として使うこともあります。基本的に目上が年下に対してのみ使う手法ですが、これって実は結構高等技術なのではないでしょうか?
「ママはお買い物に行く」これは子供に対して母親が"自分は買い物に行く"と言っているわけですが、もしこれが文字だけだったら文法的には"自分の母親が買い物に行く"ととるのが正しい理解ですよね。
でも母と子供の会話で使われている場合、それは母親が相手(子供)の立場に立っての発言であり、そして子供の方も母親が自分のためにママと置き換えて言っていることを理解しているわけです。
これは双方で自然にシチュエーションに応じた使い分け・理解ができている証であり、その根底には"優しさ"や"気遣い"といった相手への思いやりのようなものがあることを感じられるのです。
一人称だけでなく、あなた・きみ・そちら…のように相手の呼称も同じように様々なものがありますよね。
日本語って複雑で難しいけれど、そんな短い呼び方ひとつで様々なことが伝えられる、深ーくて味わいのある良い言語だなぁ。。なんてことをぼんやり考えていました。