地下鉄サリン事件の朝、会社は大変な騒ぎだった
27年前(1995年)の今日、オウム真理教による「地下鉄サリン事件」が起こり日本中が騒然となった。
営団地下鉄(現 東京メトロ)の複数車内で神経ガス サリンが撒かれ、大勢の死者と6,000名以上の負傷者が出た、未曾有の同時多発無差別テロ事件だ。
当時私の会社は、都内の地下鉄の駅と地下通路でつながっているオフィスビルだったため、犯行が行われた千代田線・丸の内線・日比谷線にも多くの社員が乗って通勤していた。
犯行は朝の通勤時間帯を狙って行なわれたため、この朝、会社は大変な騒ぎとなった。
今ならスマホ上の安否確認システムですぐに従業員の安否を確認できるけれど、この時代はまだ皆が携帯電話というものを持っていない。社員の方から電話連絡しない限り、今どこにいるのかわからなかった。
ちょうど日曜と祝日に挟まれた月曜だったため休みをとっている人もいたし、出張中や、出先に直行している営業員も大勢いる。1,000名近い従業員全員の安全を確認するという作業は困難を極めた。
何度も何度も、出社していない人間の情報を求める社内放送が繰り返された。
当日は一体何が起こっているのかわからなかったから、地下から排気ダクトでビル中に何か有毒ガスが充満するのではないかなどの噂もささやかれ、不安な気持ちだったことしか覚えていなく、その日通常業務を行なったのかどうかの記憶もない。
幸いなことに死者や大きな負傷をした従業員はいなかったけれど、隣の部には霞が関駅かどこかで気分が悪くなったという人がいて「しばらく視野が狭くなったんだよ」と話しているのを聞いて身震いした。
この事件を境に駅構内からゴミ箱が撤去され、10年間ぐらい駅にゴミ箱がなかった。復活した時には外から中が見えるものになっていた。
その後長いこと大規模な捜査が続き、報道は連日それ一色だった。
約2か月後、ついにオウム真理教教祖 麻原彰晃が逮捕された。オフィスでかランチの店でかは忘れたけれど、テレビの生放送で護送の様子を皆で見ていた。
上空を飛び回る多くの報道ヘリコプターの大きな音がどんどん近づいてきて、護送車が近くを通っていることが感じられた。テレビ音声と実際の音の両方でステレオのように響き渡った爆音を今でもはっきり覚えている。
この日本で、暴力や犯罪組織でも何でもない新興宗教団体の普通の若者たちが、こんな何千人もの被害者を生んだテロ事件を起こすなどそれまで考えられなかった。
毎日普通に出勤しているだけの自分がある朝突然、事件に巻き込まれ人生を台無しにされてしまうことが起こり得る。日本という国の安全神話が崩れた事件だった。